飯道山の東麓の緩やかな傾斜地に牛飼村(集落)が所在する。夏の強い陽射しに包まれた集落の東にこんもりとした森が見える。森は村の鎮守・総社神社である。 庚和2(1100)年の創立。
当地は東海道・水口宿に近く、また古代の紫香楽宮に通ずる幹道沿いにある。昔から栄えた集落らしく菅原道真との縁なども伝承されるところ。
嘉吉元(1441)年、総社神社の本殿が改修された際、完工祭に麦酒を醸し、献上された。以来、毎年7月18日に麦酒祭が行われる。わが国に類例の祭がなく、総社神社の麦酒祭は稀有である。
わが国では神話の時代から五穀(米、麦、粟、黍、豆)が栽培された。麦は立地条件に叶えば二毛作(水稲の前作)の主作物として稲作とほとんど同時期から栽培されていたと推される。しかし、麦が酒醸造の原料として使われた記録は見当たらない。
古事記に応神天皇が吉野宮に行幸のおり、国栖人が醴酒(こさけ)を醸し捧げた故事がしるされている。今日、醴酒(こさけ)は国栖奏が行われる祭の日に神饌としてが献じられている。この醸造酒(醴酒)は穀類の糖質分を醸したものと思われるが、仕込みの時期や食味の嗜好から原料は麦とは考えにく。そうすると、総社神社の麦酒は古代エジフト以来、本邦初の麦酒(ビール)醸造の歴史を伝えるものだ。同時に、近江地方においてこのころすでに二毛作が行われていたことが実証され、農業史上、重要であるばかりか、宮座(神社行事の運営主体)が欧州の自治組織にも劣らない文化の継承に大きな役割を果たしていることに驚きを禁じえない。
麦酒造りに当たっては、祭の前夜から飯道山の清水を汲み上げ、昼夜を分かたぬ醸造作業や祭当日の準備などに追われ、宮守を中心にして相当な労力を要する。祭は厳かに進められ、ナオライで氏子に麦酒の新酒がすすめられる。もちろん材料は新麦。近江の湖南、湖東地方にひろがる麦秋もまた見事なものである。ブロックローテーションへの取り組みにも熱心という。季節季節に近江路を歩かれるとよい。−平成22年7月− |