遊子谷の七ツ鹿(鹿踊り)−西予市城川町遊子谷−
 西予市の山間に遊子川(ゆすかわ)というところがある。農繁期を過ぎ、城川オリンピックも終わり、村はやわらかな秋の日差しに包まれている。標高200〜500メートル余。家屋や田畑は山腹の高所にある。人口約400人。遊子川はイチョウなど巨樹の村として知られ、近年はトマトのハウス団地が造成されるなど野菜の促成栽培が盛んである。
 遊子川は2地区からなり、その一つが遊子谷(ゆすたに)。深い峡谷沿いを幹道が縫うようにはしり、遊子谷地区の氏神・天満神社が鎮座する。10月23日(日)正午過ぎ、峡谷に笛・太鼓の音がこだまする。天満神社で秋祭りが始まったようだ。
 神殿で神事が斉行されウラヤス舞いの奉納がおわると拝殿前で牛鬼、七ツ鹿、獅子舞などがお祓いを受ける。社の庭では七
ツ鹿が一列になり、両脚を交互に上げ下げし祭神に鹿踊りを奉納。拝殿から2基の神輿が出て祭りの行列が整い、2キロほど先の御旅所に行幸。牛鬼、七ツ鹿、お猿、ダイバン(コウジンサマ、サクガミサマとも)、オタフク、獅子、神輿の行列が棚田がひらけた渓谷沿いの道を行く。牛鬼はブー、ブーと竹法螺を吹きつつ行列を先導。道中、氏子宅の玄関口から角の生えた頭をニューと差し入れる。氏子は家内安全、招福の神がきたと言って牛鬼を歓迎する。午後2時ころ御旅所に到着。祭壇を組み御饌を供え、祭り会場の準備が進む。この間、牛鬼、七ツ鹿は集落内を巡行し、それぞれ氏子宅で牛鬼を練り或いは鹿踊りを舞い、午後2時半ころ御旅所に到着。 
  まわれ水車 遅くまわりて関にとまるな
  風やかすみを打ち払うて 今こそ牝じし 逢うぞ嬉や
  白鷺があとを思へば立ちかねて 水も濁さぬ立てや白鷺
  ぬたの中なる牝じしは なんとしてかや おびき出そうやな   
 御旅所で神事が終わり、午後2時半過ぎから七ツ鹿の奉納。七ツ鹿踊りは張り子の黒の鹿面をかぶった7ツの鹿とお猿さんが鹿舞歌、笛・太鼓の囃しにあわせて踊る。途中、お猿さんは鹿踊りの輪から離れ、観衆をわかせる。
 鹿踊りの舞い手は胸に括りつけた小太鼓を前垂れで覆い、舞う。7ツの鹿中1ツは牝鹿。鹿の頭に花を挿し牝鹿をあらわす。2ツは竹笹に短冊を結んだ蝶の羽のようなササラを背負い、牝鹿を追い、探す役柄の舞い手。2人をそれぞれ先音頭、後音頭と呼ぶ。
 鹿踊りにはストーリーがある。神隠しにでも遭ったのか森に隠れた牝鹿を牡鹿が探す物語を鹿舞歌の歌詞にそって舞い踊る。当地の鹿舞歌は8節からなり、ゆっくりとしたリズムで歌われ、7ツの鹿は野に遊ぶ鹿の姿態を模写しながら笛の音にのせ、別離の無常と再会の喜びを太鼓に託し舞い踊るのである。
 午後3時半ころ、鹿踊りは終了。次に今年復活した相撲甚句が奉納され、子供相撲をもって遊子谷の秋まつりは終わった。
 峡谷の稲田にも秋の深まりが感じられ、ケヤキの紅葉がはじまった。−平成23年10月23日−

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遊子谷の七ツ鹿概観
 南予や土佐に鹿(しか)踊りが伝承されている。その地区・集落数は100か所以上とも言われ、随分多くのところで鹿踊りが伝承され牛鬼とともに秋まつりの華。根強い人気がある。
 かつて南予の秋祭り(宵宮)に神楽を奉斎するところも多くみられた。しかし、神楽は後継者が育たず廃絶になったところも多く、今は宇和海周辺の海岸部を主にして僅かに存続する程度の衰退ぶりである。鹿踊りも畑地・三島神社(宇和島市島津町)の秋祭りのように少年、成年がそれぞれ五ツ鹿踊りを奉納するところがある一方、少年が舞い子となるところでは過疎化、少子化とともに舞い子がそろわず、中断するところや廃絶となったところも少なくない。四ツ太鼓しかりである。
 遊子谷の七ツ鹿は青年が舞い子。20年ほど前、廃絶寸前に陥ったが壮年男子が舞い子に加わり危機を脱するなど村落一体となって存続。戦中戦後を含め1回の中断もなく七ツ鹿踊りが奉納されている。遊子谷の鹿踊りはそれほど氏子に大切にされ、一般の者が観覧しても魅力的な踊りである。南予の風土にあった鹿舞歌の美しさと鹿の姿態の可憐さ、しなやかさがよい。鹿踊りは民舞の白眉であろう。
ササラを付けた先音頭(遊子谷)
 鹿踊りは宇和島藩主となった仙台藩主独眼竜の長男宗秀が故郷を偲んで伝播させたという説がある。東北の鹿踊りの原語は‘すすをどり’(‘すす’は‘しし’が変化したもの)。鹿の一種である青猪を‘しし’と呼んでいたので鹿(しし)踊りと呼ぶようになったというのが白鳥省吾氏の説である。獅子舞いから転じたものではなく、囃しも服装も異なると主張する。しかし、鹿踊りは古くは全国に散在していたし、鹿を‘しし’と呼ぶところは京都周辺の山間などにも存在する。鹿踊りの語源はもう少し広く考えた方がよいかも知れない。
 東北の鹿踊りの本態は隠れた小鹿が猟師に撃たれそうになった刹那、小鹿を発見した親鹿が飛び出しその前に立ちはだかったので猟師は小鹿を撃つことをあきらめ、それを見た親鹿が猟師に感謝して傍観者である多数の鹿とともに群れ踊るというストーリーが基本。哀傷と歓喜の感情の変化を小太鼓であらわす。鹿の舞い子の数は一定していないが戦前は20人くらいが標準ではなかったかと思うと白鳥氏は著書「現代歌謡百話」(昭和11年)の中で証言している。うち1ツは小鹿。曲数は多く、南予のように1曲を基本として地域により節が少しづつ分化していく形ではない。かつ歌詞も遊子谷のものとはだいぶ異なるものが多い。旧宮城郡や仙南地方につたわる鹿舞歌に、次のように遊子谷の鹿舞歌を連想させる曲がないとは言えない。しかし、こうした鹿舞歌も古くは全国処々で歌われていたとみることもできるだろう。
   牡鹿は牝鹿かくされて7日目に山に登り 恋いの唄よみ 
   牡鹿牝鹿や かうれ見ろや鹿の心
 鹿踊りは鹿頭の張り子を被り、胸前に括りつけた太鼓を打ちながら踊る。この鹿踊りの原型は平安時代前後におこった田楽や念仏踊りの一系と推される。九州の山野楽太鼓踊り安芸のはやし田(田楽)などとその形態は基本的に同じである。踊りの目的によりかぶり物が獅子頭になったりシャグマになったり或いは素面に清十郎笠を被ったりと装束とともに分化し、芸能化していったとみてよいだろう。加えて、田楽や念仏踊り、太鼓踊りは御霊信仰や亡魂を笛、鉦、太鼓などによって払い出し村落の安寧を維持するといった心意に支持され、今日まで伝承されてきた。鹿踊りもそうした日本の踊りの伝統と脈絡を持ち、頭を鹿に変え芸能化したものと思う。頭を獅子に変えれば獅子舞になる。福井県小浜市の雲浜獅子(写真下。江戸時代に武州川越藩から移入)は頭を獅子から鹿に変えると南予の鹿踊りのイメージとよく似たものとなる。
雲浜獅子
 城川町、とりわけ遊子川は山深く、鹿が棲息し狩猟の対象とされていたに違いない。罠であるいは銃猟で仕留めた鹿は余すところなく利用されたことであろう。時に、親を失った小鹿や子を宿した牝鹿もいたに違いない。そうした鹿への人々の亡魂の心意が遊子谷の鹿踊りや土居の鹿踊りの起源となっているのだろう。それは江戸時代よりずっと古い昔から踊り継がれてきたように思われる。
 田楽が農民から次第に都市住民や貴族社会へも浸透したように、鹿踊りは遊子谷など山間から次第に都市や沿海の村々に伝播したことだろう。
 遊子谷の七ツ鹿踊りの起源について、近くの土居地区から八ツ鹿踊りを習い、その際鹿の数が土居と同じでは失礼なので遊子谷は七ツ鹿に減し一ツはお猿に変えたという伝承がある一方、もともと遊子谷に七ツ鹿踊りが存在したとする両極の由来伝承がある。そうすると、鹿踊りは、もともと遊子谷など鹿猟が行われた山間において、伝承由来が書きとどめられなかった大昔から田楽や念仏踊りなどの影響を受けつつ遊子谷で鹿供養の踊りが行われ、芸能として洗練され、次第に四方八方にひろがったと考えることもできる。鹿と無関係に突如、都市で鹿踊りが発生するとは考え難い。
 仙台から宇和島に入封された伊達秀宗は領内に宗藩内のそれと似た鹿踊りが存在することを知り驚いたことであろう。鹿踊りは保護され、普及し、あたかも秀宗が仙台からもたらしたような錯覚が領民に生じたに違いない。
 鹿の数は、藩政期の倹約令や村落の規模などから五ツ鹿から八ツ鹿の範囲で収束したものか。遊子谷のそれはもともと七ツ鹿であり、お猿さんは祭りの道化役として別途、発案されたものか。獅子舞や南予の歌舞伎くずしなどの民舞に道化の類例がある。
参考:九州 福岡 博多祇園山笠 筥崎宮の放生会 玉せせり 玉垂宮の鬼夜 婿押し(春日神社) 博多どんたく みあれ祭(宗像大社) 小倉祇園太鼓 佐賀 市川の天衝舞浮立 唐津くんち 四国 愛媛 七ツ鹿踊り 南予の秋祭り  保内の四ツ太鼓 和霊神社の夏祭り 香川 牟礼のチョーサ 四国の祭り 梛の宮秋祭り ひょうげ祭り 小豆島の秋祭り 徳島 阿波踊り 中国 広島 安芸のはやし田 壬生花田植 豊島の秋祭り  ベッチャー祭り 三原やっさ祭り 岡山 西大寺会陽 近畿・京都 湧出宮の居籠り祭 松尾祭 やすらい祭 木津の布団太鼓 祇園祭  田歌の祇園神楽 伊根祭(海上渡御) 三河内の曳山祭 大宮売神社の秋祭り 籠神社の葵祭り 本庄祭(太刀振りと花の踊り)  紫宸殿楽(ビンザサラ踊り) からす田楽 大阪 八阪神社の枕太鼓 四天王寺どやどや 杭全神社の夏祭り 粥占神事 天神祭の催太鼓 生国魂神社の枕太鼓 天神祭の催太鼓 秋祭り(藤井寺) 南祭 枚方のふとん太鼓 科長神社の夏祭り 岸和田のだんじり祭り 奈良 龍田大社の秋祭り 大和猿楽(春日若宮おん祭) 奈良豆比古神社の翁舞 當麻寺の練供養 漢国神社の鎮華三枝祭 飛鳥のおんだ祭り 二月堂のお水取り 飛鳥のおんだ祭り 唐招提寺のうちわまき 国栖の奏 滋賀 麦酒祭(総社神社) 西市辺の裸踊り 多羅尾の虫送り 大津祭 北陸 福井 小浜の雲浜獅子 鵜の瀬のお水送り