宇和島に和霊神社がある。この神社は独眼流で聞こえた伊達政宗の長男で宇和島藩主伊達秀宗の家臣山家公頼(やんべきみより)を祀った社である。主君が家臣を神格化するという不思議な神社。政宗以来の家臣公頼は高潔な人柄できこえ家老となり藩政改革に努めたが、秀宗は公頼の直諌を嫌っていた。その意をくんだ家老桜田玄蕃が公頼を殺害。公頼の霊は仙台の政宗に届き、その諫めによって秀宗は前非を悔いて善政に尽くし、公頼を和霊神社に祀ったという。土地の人々は和霊様と呼び、その信仰は近在に及びさらに山陽、山陰方面にまで和霊様を分祀する社がある。
和霊神社の大祭に「和霊夏祭り」がある。船渡御と牛鬼で聞こえた祭り。7月中の3日間(2011年は22〜24日)、宇和島は夏祭りで湧きかえる。
ウショウニン。南予の人々は牛鬼をそのように呼ぶ。その名の通り、牛鬼は牛と鬼のハーフのような姿。縁起物として牛鬼の玩具ブータレを飾る家も多い。
祭りの牛鬼は竹で編んだ体高5メートルほどの骨格にシュロ又は赤布を巻き、異様に長い首をした鬼面のそれが大きな口を開けている。その体躯に大小あるものの牛鬼は高く、天を衝く。近年では火(煙)を吐くものや黄色或いは緑色の牛鬼も参加し、大体1体を30名ほどで舁(か)きあげる。今年はその数23体。牛鬼を舁く者など参加者は年々増え続け、今年は参加者総数1300人を数えた。
夏祭りの3日目午後、各地区や参加企業を出た牛鬼は続々と市内のアーケード街の中ほどで交差する「牛鬼ストリート」(南予文化会館南側路上)に集結。背後に宇和島城天主がそびえている。出発式が終わり、午後1時過ぎから袋町の交差点で練り込みが行われた。
牛鬼に付添う子供や女性などが真竹でできた竹法螺をブーブーと吹き鳴らし、舁き手がヤレヤレヤレヤレと連呼する。1体或いは2体、3体が一緒になって長い首を差し上げ、観覧席に向かって突進して観衆を沸かせ、祭り気分は徐々に高揚していく。アーケード街は牛鬼の練り込みや巡行を見計らってか実に広く、高く造られている。国内にもこのような立派なアーケード街はそう多くはないだろう。
牛鬼はアーケード街や駅前通りなど市中を巡行。道々で、商店や人家の入口を覗き込むようなしぐさをする。住人は牛鬼に覗かれると縁起が良いと言って喜ぶ。市内のコースを一巡後、牛鬼は再び牛鬼ストリートに集結し、練り込む。
祭りのクライマックスは祭り3日目の船渡御。宇和海に口を開ける須賀川河口にあたる樺崎から神輿を載せた御座船が供船に守られて神幸橋に向け遡る。神輿はかがり火が焚かれた祭場に入り、オハケと呼ぶ幣帛を飾った高く大きな竹笹の周りを3度回り、神幸橋を渡って和霊神社に帰社。この時、白鉢巻き姿の青年が待ち受け、オハケを奪い合う。まったく勇壮なものだ。オハケは神のヨリシロ、豊漁、幸運を齎すという。帰社した神輿は神殿前を3度回って本殿に落ち着かれる。和霊夏祭りは南予の夏祭りの華であろう。−平成23年7月− |