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福岡 |
玉せせり(笘崎宮)−福岡市東区− |
博多湾から吹く北風が笘崎宮あたりを包むころ、玉取恵比須神社の神殿周りでは、幟を立て、注連縄を回らせ、雄玉、雌玉を迎える準備がはじまっている。
1月3日、午後1時、笘崎宮の絵馬殿で雄玉、雌玉の玉洗いの儀式がはじまる。一木、山口両家の者によって、玉は、湯で洗い酒、菜種油で入念に清められ、笘崎宮の東、200メートルほどのところにある末社玉取恵比須神社に運ばれる。玉が到着し玉取恵比須神社で儀式がすむと、注連柱前で待ち受けていた子供に神官から雄玉が渡される。玉は、子供たちによって浮きつ沈みつ通りをゆき、途中で浜、岡、町方三組の青壮年の者に引継がれ、肥前鳥居を潜って楼門に向かう。三組は、玉を奪いあい、沿道からの力水を浴び、玉をせせりながら整然と力闘するのである。
当日、笘崎宮の楼門は一時、戸板によって閉められる。一箇所だけ穴が開いていて、この穴から玉を納めた方が勝ち組となる。浜には豊漁、岡には豊作、町方には商売繁盛をもたらすという。
玉せせりは、1月3日の正月行事として行なわれるが、初詣と重なり境内は立錐の余地もないほど境内は賑わっている。九州には神功皇后を祭る神社が多く、玉せせりは、日本書紀がしるす如意宝珠に由来するとする説など諸説あるが、中世の恵比須神信仰(七福神信仰)に由来する行事と考える方が自然であろう。長崎街道や唐津街道など九州の旧街道筋や社寺の門前には今日においても多くの恵比須神(塔)を見出すことができる。−平成18年1月3日− |
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