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雲浜獅子(うんぴんじじ)−小浜市− | |||||||
越前岬から丹後半島の伊根を結ぶ若狭湾。その広大な湾にまた大小の枝湾がひらけ商船や漁船、遊覧船が行き交う。
5月3日、街を行くほどに小気味よい笛、太鼓の囃子が聞こえる。今日は小浜のお城祭二日目(本祭)。昨夜から降り続いた雨も止み、五月晴れ。今日は小浜神社で雲浜獅子の奉納が行われるようだ。 小浜神社は市内を流れる二つの川(北川、南川)に挟まれた小浜城址跡の一角に建つヤシロ。祭神は酒井忠勝公。家康の娘を娶り、大老にまで出世した幕閣。市民の尊崇の念も強い。 午前10時半ころ、小浜神社本殿脇の舞殿で豊栄(とよさか)舞が奉納された。ウラヤス舞の態である。8人(2組)が順次、奉納。群舞のイメージで清々しい。
小浜神社境内で奉納された雲浜獅子は、大人と子供の2グループ。舞い手はそれぞれ3人。雌獅子を老獅子と若獅子が雌獅子を奪い合い、勝った若獅子が老獅子と和解するストーリー。 舞い手の装束は着物にタッツケ、白足袋に草履履き。頭に獅子を被り、頭から鳥の羽根を腰下まで垂らし、前腹に白布で太鼓を固定。腰に竹の先端にシデを結んだ指物を2本腰に差す。 |
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囃子方の笛吹きは、その周りに赤布を垂らした三度笠を被り、着物を着て白足袋に下駄ばき。獅子追いは着物に半纏を羽織ってタッツケ姿、鳥追い笠の上から頬かむりする(写真上)。ストーリーにあわせて16段の歌を歌う。雲浜獅子の演者は、舞い手、笛吹き、獅子追い併せて総勢30名ほどになろう。
この種の鹿(獅子)踊りはもともと田楽や散楽、念仏踊りなどの影響を受けつつ進化し、雌雄の鹿(獅子)の恋争いという庶民の日常に昇華させ娯楽性をたかめている。 鹿(獅子)踊りの名称や装束に地域差があるが、基本は同じである。被り物は鹿、獅子、シャグマ等々、かつては相当、広範であったことだろう。この系統の踊りは、京都・今宮神社のやすらい祭の羯鼓や大鬼の装束が元になり目的に応じ、さまざまに分枝したものと推される。 鹿(獅子)踊りのストーリーについても、元は藤原俊成が千載集で‘世の中よ道こそなけれ思ひ入る山の奥にも鹿ぞ鳴くなる’と歌っているように古来、日本民族が歌い継いできた鹿(獅子)の哀傷にストーリーをつけ、娯楽性を高めたのではないだろうか。 舞の象徴である頭につき、雲浜獅子のように獅子頭を用いるのは古来、日本人が獅子の霊力を信じていたためであろう。獅子舞が子供の頭を咬む仕草もそうした霊力信仰の表れ。 鹿(獅子)踊りがほとんど絶滅した今、西日本では愛媛県下と福井県の一部地域にしか残っていない。類例のない貴重な民族舞踊である。その保存につき私たちは無関心ではおられない。−平成25年5月− |
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