難波の一の宮・生国魂(いくたま)神社の夏祭りが7月11、12日両日、盛大に行われた。
天王寺の勝鬘院と北野の大融寺の愛染まつりが大阪市の夏祭りのトップをかざり生国魂神社、杭全(くまた)神社、天満宮(天神祭)と大きなまつりが続き、ラストは住吉神社というのが昔からの大阪市部の夏祭り。
大阪の夏祭りにのつきものは蒲団太鼓と枕太鼓。蒲団太鼓は太鼓の四隅に柱を立て、金銀の刺繍の入った座布団を積み重ね、下部に車をつけて引っぱって行く仕掛け。大人しく、暴れることはない。小豆島や讃岐・牟礼辺りの蒲団太鼓とはだいぶ様相を異にしている。枕太鼓は大きな糸枠型の台に大太鼓を水平に釣り、糸枠の前後に直径4、50センチの大枕を結びつけ、枕の内側に3人づつ向かい合って紅の投げ頭巾を被った6人の打ち手が座る(写真上。生国魂神社)。太鼓台には長柄が2本、その外側に副棒2本を縛りつけ、数十人が人力に任せて舁(か)きあげ、太鼓台を横転、逆転、錐もみ、差上げと大暴れするのが流儀だった。生国魂祭の「報知太鼓」、天神祭の「催太鼓」、茨住吉神社の「亀甲太鼓」、八阪神社の「酒梅の太鼓」などみなそれぞれ特色があって、行列の先頭をゆき、或いは行列を離れて氏地を練り歩いたものだった。いまはどこの枕太鼓も舁(か)くことは少なくなった。生国魂祭においても台車に糸枠型を載せ30人ほどの男衆が曳く。錐もみ、差上げはないものの横転、逆転、加えて拝殿後方30メートルばかりのところから全速で太鼓台を引っ張り、副棒を拝殿石段に激突させる大練りは、やっぱり荒事の生国魂祭の本領発揮だ。諸国の祭り中、まったく稀有なものである。神輿や獅子舞が霞んでしまう祭の華であろう。枕太鼓の起源について、陣太鼓との連想から太閤さんのころに原形が整ったと説くところがある。枕太鼓の誕生につき、私は、蒲団太鼓の蒲団台を枕台に替え、太鼓台を身軽にしたとき枕太鼓が生まれたのでないかと思ってもみる。そうすると太鼓台の動きに敏捷さが加わり横転、逆転などの動作が実にスムーズになる。真夏の暑い日に難波っ子は、身体のいたるところに朱の神社印を押し、祭の安全を願いつつわが身の息災をねがうのである。 −平成20年7月− |