大阪の夏祭りは住吉神社(大社)の南祭を最後にして幕を閉じる。南祭はもともと6月晦日の行事であったが、今は8月1日に行なわれ、神輿渡御祭として知られている。船神輿に曳かれ、神輿は住吉神社から堺市宿院の頓宮(御旅所)まで紀州街道を行く。近年、徒歩行列が復活し、街道に注連飾りが延々、頓宮まで続き、往年の火替神事を髣髴とさせるほどの盛況ぶりである。むかし堺市民は神輿の送迎に松明を連ね、往還の道は昼間の現況を呈したという。沿道に摂津、河内、泉をはじめ播州、淡路、紀州辺りから人々が参集し、祭りは大いに賑わったのである。
今日、渡御中の圧巻は大和川の神輿渡御であろう。神輿を舁き川を渡るのである。
祭り当日、午後2時から住吉神社で始まった神事がおわり、同社の淀君の寄進といわれる反橋を後にした船神輿が神馬や神宝を棒持する者或いは笠踊り、住吉踊りを勤仕する氏地の人々に導かれ紀州街道を行く。氏地の人々は、住吉の大神が大和川を越え、宿院の頓宮で女神に逢うのだという。大神は2日の早暁に大社に還幸。それは徹宵の祭りであって、夜店が立ち参詣の氏人が絶えることはない。
本宮と頓宮を分断する大和川。住吉神の逢瀬伝説は江戸期に掘削されたこの川ゆえに生まれた伝説であろうか。行列の先頭が大和川に達するころ、堺付近の氏地の人々によって渡御の迎えが行なわれる。今日では、紀州街道に架かる橋上がその現場である。しばし、船神輿が橋上にあり、大和川原に降りた神輿は大阪(住吉)側から堺側に引継がれ、神輿は大和川を渡渉して頓宮に向かうのである。いわゆる川渡御であって実に勇壮なものだ。
8月1日午後3時9分、花火が行列の大和川到着を告げる。水位を見守ること実に1時間余。午後4時19分大阪側の舁き手が動き、同22分神輿が着水。花火が上がり約10分間、川中で住吉側氏子によって神輿の練り込みが行なわれる。続いて、堺側の世話人、舁き手が渡渉し、住吉、堺側の氏子によって神輿の引継ぎが行なわれる。午後4時52分、堺側氏子による神輿の練り込みが行われた後、いよいよ渡渉が始まる。急流にぶつかり神輿の態勢が一瞬、崩れる場面があったが、午後5時9分、難なく渡渉は終了。約2時間に及ぶ川渡御が終わり、神輿は紀州街道を行き、行列は堺市中の人々に迎えられ頓宮入り、大祓式が行なわれた。−平成21年8月1日− |