京都
大宮売おおみやめ神社の秋祭り-京丹後市大宮町周枳すき
秋時雨あきしぐれふるの社の御祭おんまつり  <芳月>
大宮売神社
 京丹後に大宮売神社(写真)が鎮座する。北近畿タンゴ鉄道の「大宮駅」から徒歩20分ほど。旧道に面して鳥居がある。長い参道の松並木が清々しい。
 社は、貞観元(859)年に神階を授けられた式内の明神社(延喜式神名帳)である。境内の水田跡は大嘗祭における丹波国主基斎田跡(すきさいでんあと。当地は旧丹波郡内にある。和銅年間に丹波が分国され、丹後国となる。)とされ、主神の大宮売神は宮中の八神殿に祀られる1柱。社は1400年以上続く丹後の巨神が斎くところ。丹後二の宮(一の宮は天橋立近くの籠神社)。
 この大宮売神社に太刀振(たちふり)、笹(ささ)ばやし、神楽(かぐら。内容は獅子舞)、三番叟(さんばそう)が伝承され毎年、秋祭りに奉納される。これら芸能はいずれも丹後・丹波地方で広く演じられる演目であるが、当社のそれは古式が良く保存されている。特に、笹ばやしや三番叟は、その起源すら明らかでないと言う。相当、古いかたちの芸能を受け継ぐものだ。いずれも中世の田楽を起源とし念仏踊りなど風流の影響を受けつつ今日まで伝承されてきたのだろう。
獅子舞
神楽(獅子舞)
 神楽の本態は獅子舞。伊勢大神楽の影響を受けたものと思われるが、氏子がもっとも熱狂する出しもの。獅子舞の三段目「おこり舞」が始まると、乳飲み子を抱えた両親や子供は絵馬舎の濡れ縁(本宮の舞台)に迫り、子供の頭をさし出す。獅子にかまれると無病息災、学力向上、大願が叶うと伝えている(写真)。子供よりわが身が先になる者や、獅子の口に首、肩まで突っ込み、「アイタ!」と悲鳴を上げる老若男女もいる。したがって、この社の神楽は大きな獅子の口を自在に誘導する宮係が付き、安全管理にも手抜かりはない。
 今年の秋祭り(平成24年)は10月7日が本宮。8日は傘直し(後縁)だと言う。氏地は大宮町内の5地区。太刀組、神楽組等々各地区が役割を分担。氏子は地区の宿(やど。民家)を拠点に行動する。
 本宮祭の当日は、午前9時ころから太刀振などが地区内を巡行。午前中は諸芸を氏地の供覧に付す。午後は本宮への練り込み。午後0時30分前後に地区の各宿に集合し、宿前でひと踊りした後、午後1時めどに御旅所(石明神)に集合。沿道で御幣を掲げ或いは羽織袴に威儀をただし、神輿を拝み、太刀振りや笹ばやしなどの通過を祝す(写真)。晴れ着の稚児もいる。
太刀振の道行き(御旅所へ)
 御旅所となる石明神は古墳であるらしく、石室を組んだ巨岩が露出している。この石明神の脇に砂を盛り、周りに笹竹を立て注連縄をめぐらせて斎場とする。
 午後1時10分、
神輿
神輿(御旅所神事)
御旅所に御輿が鎮座し、ショウ、ヒチリキの音もゆかしく、供饌の後、祝詞が奏上された。
 朝から断続的に降り続いていた雨も午後0時30分ころにはぴたりと止み、雨天のため道行が遅れていた笹ばやし、三番叟が次々に到着。
 御旅所では笹ばやし、神楽、三番叟、太刀振を奉納。神輿が舞う。諸芸を奉納後、午後2時ころいよいよ本宮へ向かう。
 途中、参道、鳥居前で、笹ばやしや太刀振などを演じた後、小1時間休憩。本宮では、絵馬舎で諸芸を奉納。境内の神事場では神輿の大練り、太刀振が奉納され、午後5時半ころ本宮祭は終局を迎えた。 
大宮売神社の諸芸能雑感
 大宮売神社秋祭りの笹ばやし、神楽、三番叟、太刀振について、思いつくままに印象をしるしておきたい。
笹ばやし
笹ばやし(御旅所)
笹ばやし(御旅所)
 笹ばやしは宮津市、京丹後市内の大宮町、網野町など丹後一円で広く行われ、秋祭りに奉納される。
 大宮売神社のそれは、「太鼓方」と「はやし方」からなり、いずれも十数名。太鼓方は12、3才ほどの少年少女で構成し、うち1人がシンボシ(太鼓方の総領のような役割があり、台詞をともなう)。服装は筒袖の絣の着物に袴をはき、白足袋に白鼻緒の高下駄の姿。襟首に御幣をさし、白の襷をかけ、前腹に白布で締太鼓を固定する。太目の太鼓撥(ばち)に金紙を巻く。両手の指に5色の短冊を総(ふさ)にして固定。シンボシは太鼓方の装束と同じであるが、編笠を被り、色紙で飾っ
笹ばやし(道行)
笹ばやし道行(本宮へ)
た団扇を持つ。またその先端に笹を束ねた竹箒のようなものを布でくるみ、鈴とひさご(ひょうたん)を付け担ぐ(写真)。道行などでは大人が持つ。この笹束は、「ささら」に見立てた「採り物」。シンボシがこれを持つことにより田の神が宿り、祭の司祭者となるのだろう。中国地方の花田植におけるサンバイと構造が似ているように思う。
 はやし方は大人。羽織袴を着け、襟首に御幣をさす。白足袋に黒鼻緒の下駄履き姿。 笹ばやしは「サンヨレ」という掛け声で行進する。左右の足を前に出したり、身体左右を向けたりするが、踊りや狂言を演ずることはなく動きはいったいに静かである。
シンボシ)今度の踊りは弁慶踊り、弁慶踊り、音頭の声頼み申そう、中のシンボシはやし申そう、太鼓の頭、そろりそっと入れヒーヨー
 ヤー いざや踊ろう、いざ踊ろうイヤ弁慶踊りを一踊りイヤイヤ・・・・
などとはやす。このくだりは田楽から猿楽(能)が派生していく流れを感じさせる。
 笹ばやしは、太鼓方やシンボシの装束や採り物などからみて、田遊びを根源として念仏踊りの影響を受けつつ定着していった田楽系統の芸能であろう。演奏は御旅所、鳥居前、絵馬舎(本宮)の3ヶ所。奈良の春日おん祭において、田楽の行列が一の鳥居にさしかかったとき、影向の松に1曲を奏する作法があるが、大宮売神社においても同様に鳥居前で奏するならいがある。いわゆる鳥居がかりの作法であるが、これは田楽がもともと神社や地頭などの邸に練りこんでいく行道芸であった痕跡だろう。その源流は三番叟の後、遅くとも15、6世紀には成立したのではないだろうか。
笹ばやし道行(御旅所へ) 笹ばやし(絵馬舎)
笹ばやし道行(御旅所へ) 笹ばやし(絵馬舎)
三番叟
 三番叟もまた、丹後地方に比較的、広く行われていて秋祭りのポピュラーな演目である。もっとも今日では、氏地の過疎化により演者がいなくなり廃絶にいたるところや、芸能の意味するところにつき氏子の理解が進まず、やむなく廃絶になるものもまた少なくはないであろう。三番叟などはそうした芸能の典型と思われる。したがって、三番叟はプロの芸能者或いはその弟子たちによって能や舞踊で演じられることはあっても、祭の出し物として伝承されているところは、もはや全国的にも極めて少なくなった。
 大宮売神社の三番叟の配役は、14、5歳までの少年3人が担当。最年少の少年(一番叟)が千蔵。花かずらを被り、顔に黛を施し稚児風につくる。二番叟(翁)、三番叟(三番叟)は順に年長の少年が当たり、いずれも化粧を施し、きりっとした侍風の眉をかく。烏帽子をかぶり、白布で鉢巻をして後ろに長く垂らす。二番叟(翁)は白い翁面、三番叟(三番叟)は黒い翁面着け、三番叟は神楽鈴を手に持つ。装束は一番叟は稚児風につくり、二番叟、三番叟が狩衣。三番叟の着付けがややくだけているのは舞の激しさを反映させ、着付けの一部を省略させたものだろう。袴は三人とも紫紺色の袴。はやし方は大人が担当。地歌と特殊な拍子木を担当する。
 三番叟は氏地の繁栄と天下泰平、国土安穏を祈祷する舞い。腰が曲がりよろよろとした老人の姿を映した舞が入る(二番叟)。これは老人を完成霊魂として崇め、神格化したもので、世阿弥は花伝書において翁舞の重要性を指摘する。能楽では1曲目に翁舞が採られることが多々ある。
 大宮売神社の三番叟は、一番叟→二番叟→一番叟と三番叟の問答→三番叟の順に演じる。奈良の奈良豆比古神社のそれと同じである。
 一番叟の謡い出しの歌詞は次のとおりである。
 ”とうとうたらり たらり らあ
    地 たらり たらり らあ
 鶴と亀との齢にて とうとうたらり たらりらあ
    地 ちゃたらり たらりらあ
   ・・・・・
 この難解な歌詞は奈良豆比古神社(ならずひこじんじゃ)の翁三番叟の謡に類似のものがあり、古来、その解釈をめぐり諸説ある。(奈良豆比古神社の翁舞に関し見聞記をしるしているので、参考にされたい。猿楽能とも同旨。)
 それにしても、三番叟がこれほど長く謡われ、また能楽においても大切にされてきた由縁はやはり、安楽、安穏を願う人の心と田楽のワキ方から生じた猿楽の面白さゆえであろう。ひょっとして丹波猿楽の創始もこの大宮売神社辺りから生じたのかもしれない(大和猿楽参照)。いずれにしても古い歴史を秘めた芸能だ。室町時代後期には成立していただろう。宮の古さから推し、十分想定に耐えるだろう。
 三番叟は御旅所などでも演じられる。 
三番叟(御旅所) 三番叟道行(本宮)
三番叟(御旅所) 三番叟道行(本宮)
神楽(獅子舞)
 祭の諸芸中、もっとも人気のある出し物。この芸能も奉納の起源は不明であるが、楽台を曳いていることや大きな獅子頭などから伊勢大神楽の影響下で発展したのだろう。宮津の籠神社(このじんじゃ)の大神楽が寛文・延宝年間(1661~1680)ころから始まったというから二の宮たる大宮売神社の大神楽もこの時期を大きく下ることはあるまい。
 神楽の本態は獅子舞。御旅所や本宮で演じられ、四方に神楽提燈を置き、神域をつくり舞う。この芸能は主として大人の役分で、舞方と囃方に分かれる。指揮をとるのは俗に親方(或いはオヤジ)と呼ばれる演者。三つ巴の紋付太鼓と締太鼓を細い竹の撥で打ち分ける。
神楽屋台(尾谷所)
神楽楽台(御旅所)
神楽(御旅所)
神楽(御旅所)
 獅子舞の頭は実に大きく、眼、歯は金色で朱塗りのもの。頭に紺地に丸い小紋を染め抜いたユタン(胴)を縫い合わせ、襟首に白い毛がついている。演者は2人。獅子頭の担当は、潜って両手で獅子頭を持つか頭と口で支えて演じるという。ユタンの背中にのぞき穴がある。尻取りはそこから顔を出し、獅子の動きを援助する。大きな獅子頭を支えるためこのような独特の形が考案されたのだろう。
 演技は剣の舞、鈴の舞、おこり舞がある。剣の舞は祓いの舞で実に厳かなものだ。錦に包まれた剣を口にくわえて四方舞を行う。次に獅子頭を頭上に乗せ口で支えて剣を抜き放ち、正面と四方を祓う。出雲神楽の四方拝の舞などと同旨の舞だろう。次に鈴の舞。この演技も獅子頭を頭上に乗せ、右手に鈴、左手に御幣を持ち物静かに舞う。実に厳かなものである。獅子舞の白眉であろう。
 3曲目はおこり舞。絵馬舎の周りで待ちかねていた子供が一斉に舞台に近づき、獅子頭に触ったり、頭を差し出すような仕草をする。やがて笛太鼓の音が激しくなり、獅子舞は眼をむき、毛を逆立て、大口を開いて濡れ縁から観客に迫り、或いは後ずさりして動きに激しさを増し、遂に濡れ縁から身を乗り出すようにして見物人に迫る。泣き叫ぶ赤子や幼児。幼児の泣き声が叫び声に変わる。それでも、わが子がしっかり噛んでもらったかと気になる母親たちはさらに幼児の頭を獅子の口に突っ込む者もいる。獅子にかまれて無病息災、大願成就の思いは断ち難く、こうして獅子と観客が一体となり祭は最高潮に達するのである。
獅子舞(本宮) 獅子舞(本宮)
鈴の舞(本宮) おこり舞(本宮)
太刀振
太刀振(宿前路上)
太刀振(宿前路上)
太刀振(御旅所)
 太刀振もまた、丹後一円で奉納される秋祭りの華。籠神社の太刀振が良く知られている。この芸能に用いる太刀は4尺(120cm)の棒の先に3尺(90cm)ほどの刀を仕込み、演技の始まる直前に鞘を抜いて行うのが一般的である。
 大宮売神社の太刀振の太刀は大体、標準的な長さかと思うが、青年が振る太刀は長く随分、立派なものである。太刀の束に当たる部分に白い紙の房をつける。装束はタッツケに白足袋。足の中ほどに滑り止めの縄を巻きつける。宿前、御旅所、鳥居がかり、本宮で奉納し、道行では年少の者が大玉串を奉じて行列を先導する。-平成24年10月-