平成19年10月、6〜8日の連休中、藤井寺市内の各地区で秋祭りが開催された。だんじりは唐破風の大家根、小屋根を前後に配し、腰まわりに見事な彫刻が飾られる。地区によっては蒲団太鼓がでた。
北条地区の黒田神社、林地区の伴林氏神社、惣社地区の志貴県主神社等々、地区の氏神は延喜式に列せられ、明神大社もある。そのような式内社が別に珍しくないのもこの地方が過去、歴史的、文化的に大いに栄えた証であろう。
大和川やその支流石川の左岸沿いには河内系諸王の墳墓が随分多い。森を成す陵墓或いはそれらの森を借景にして繰りひろげられる河内の秋祭りは、その長い伝統ゆえに私たちに特別の感動を抱かせる。
祭りの担い手は若者。祭りの盛行は青年団組織の強弱にかかっているといってよい。戦後、日本各地で若者組などの名で地域の祭り、防犯、その他の行事に奉仕した青年組織の解体が進んだ。それは個人の自由を束縛する戦前の悪習として批判され、ほとんどの組織が解体されてしまった。青年団と名称を変え、戦前の若者組の所掌の一部を引継いだところもある。しかし、青年団組織が祭の主体となるなど実質的な活動を伴って今日まで存続しているところは極めて少ない。
近世には広く河内や泉州で綿花が栽培された。当地もその生産、加工、流通で栄えたところだ。蒲団太鼓はそうした綿産業の振興と大いに関係をもったようである。
藤井寺のだんじり中、惣社、船橋両町などが蒲団太鼓を伝えている。堺など大阪湾岸地区や淀川、大和川流域にも蒲団太鼓が随分残っている。
祭りの日、だんじりが石川を行く。橋の下では、ダイサギ、コサギ、アオサギが小魚を追っている。河内のまつりにはなんとものどかでよい雰囲気がある。−平成19.10.8〜10− |