生駒山地の西麓、神津嶽の直下に枚岡神社という古社がある。中臣氏(後の藤原氏)の祖神アメノコヤネノ命を祀る社として知られ、古老は西の春日さんと呼ぶ。
そこは社の西に旧暗峠越奈良街道が通り、難波津と大和を結ぶ古代の要衝。大和へ通ずる生駒越えの幹道中、最短のコース。道は国道308号線に指定されているが狭く、険しく、大阪の著名な酷道の一つ。一方、中高年向きの格好のハイキングコースとして知られ、シーズンには暗峠越えのハイカーで賑わう。
生駒山地は神武天皇の大和平定を阻んだ長髄彦(ながすねひこ)ゆかりの土地。
毎年、5月21日に枚岡神社で斎行される平国祭(くにむけまつり)は、神武天皇の大和平定を補助するため神祇を祭ったことに由来するという。祭りは神官が祝詞を奏上し振矛、献矛を行う実に素朴なものである。この祭りは見る者に枚岡神社が延喜式明神帳にしるされた明神大社・河内国一之宮であることを強く意識させる。平国祭は神送りの祭礼とする説もある。
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@本殿に向かう神官等 |
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A御竈殿舎内 |
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B斎火の採取 |
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C御竈殿のけむり |
粥占神事は河内一円によく知られた枚岡神社の祭。正月11日、午前9時ころから本殿で神事の後、神官4名と淨衣の氏子総代4名が御竈殿(神饌所。方2間。写真A)に移り、桧板とウツギの棒で斎火をきり(写真B)、竈(かまど)で米5升、小豆3升を炊く(煮ると同義。以下同じ)。その時、葛藤で編んだ中空の占竹(篠女竹。長さ15センチ)53本を釜の中に吊るし、時折2本の青細竹を束ねた1メートルほどの粥掻棒で掻き混ぜ、神霊が宿るという棒から粥に神霊を感染させながら炊く。20分ほどして御竈殿からもくもくと煙が立ち昇り(写真C)、舎内に湯気が立ちこめると、神官が大祓詞を奏上。
粥が炊き上がると斎釜から占竹の束を取りあげ、三方に盛り本殿前に運び(写真D)、中門(本殿と拝殿の間)内で宮司が粥の見分(秘密神事)を行い、占記(粥卜の記録)にしるされる。
特殊神事とされる粥占の見分は、占竹の中に詰まった小豆、米の具合によって農作物の豊凶を占うもの。占いは、田の部として米(9種類)、粳(もち。9種類)、麦(5種)
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D神殿に運ばれる占竹 |
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E小豆粥の饗応風景 |
の23種、畑作物の部として‘上の畑’が大豆、小豆、ささげ、そら豆等15種、‘下の畑’も同様に15種、総計53種の農作物の豊凶が上、中、下の作柄で占われる。
粥が噴き上がると火加減をしつつ、次に黒樫の占木12本(閏年13本。13センチ)を3本づつ4回に分けてくべ、ころあいを見てとり出し、クド前に置かれた板の上に順番に並べ、木の焼け具合から1年間(月別)の晴雨を占う(置炭の占)。
一方、中門で行われていた粥占の占記が終ると、それを本殿に供え神官は御竈殿へと退下する。午前9時ころから始まった神事は、約1時間45分を経て滞りなく終了した。
斎釜から取り出された小豆粥は授与所に運ばれ、午前10時50分ころから参拝者に下された(写真E)。粥占の結果は、印刷物にして小正月の1月15日に配布される。
参道の広く長い石畳が美しい。社叢は清々しく、ビャクシンの切株はこの社の久遠の証。楚々とした斑入りのクマ笹の向うで善男善女が手を合わせている。「ようお参りで!ごくろうさまです。」とお札・お守りの授与所から聞こえる福娘の声もまた弾んで実に清々しい。 |