みょうがさん(阿須々伎神社の茗荷祭)−綾部市金河内− |
かんあけや森羅万象さわにきき <芳月>
此神の冥加あらわす祭かな <貞起> |
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丹波の志賀郷・金ヶ峰の麓に、スギやモミの巨木が鬱蒼と茂る阿須々伎(あすすき)神社が鎮座する。延喜式内社である。
元慶3(940)年11月、この社の上空に奇瑞の雲が現れ、国司が朝廷に報告した記録が三代実録にみえる(巻第36)。
阿須々伎神社はまた、「みょうがさん」と呼ばれる行事で聞こえる社である。一昔前には、ちょっとした年中行事辞典に載るほど農事のト占で名のある社。神田に生え出た茗荷(みょうが)の状態を観察し、その年の早稲、中稲(なかて)、晩稲(おくて)の稲の豊凶と併せ、風水害のト占を行う。丹波・丹後をはじめ広く農民が関心を寄せる祭だった。
神田たる茗荷田は神社脇の石段を30メートルほど降った谷間にある(写真下)。そこは玉垣で囲われ、早・中・晩稲の木札が置かれ、さらさらと流れる清水が田を潤している。祭は例年、2月3日の節分の日に斎行される。茗荷はその日の日出から五ツ時(午前8時)ころまでに生え出るのだと言う。
祭の当日、午前10時半過ぎ、神官が三方を手にした従者とともに茗荷田に降りる。神官はさきがけの付いた下駄履き姿で鎌を手にして田に降り立ち、茗荷の御刈上げが始まる(写真上)。茗荷はツクシの頭ほどの大きさ。刈り上げた茗荷は三方に収められた。その間、約10分。神官は神殿に戻り、茗荷の見分を行う。ト占の結果につき、拝殿前で神官から報告が行われる。 ‘本年は特に、早稲・中稲がよく、風害にやや不安があるが水の心配はない’ とのことだ。ト占の結果は書きしたためられ(写真左)、農家はこれを護符として神棚に祀り、豊作を祈願し、農事にいそしむ。−平成24年2月3日−
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志賀郷の七不思議 |
寒明けというのに、丹波はまだまだ寒い日が続く。しかし、茗荷はことしもまた、神田に若芽を育んだ。この現象もまた奇瑞といえるだろう。
志賀郷には「七不思議」といういわば超常現象が伝えられている。諏訪神社の御用柿、藤波神社の藤、篠田神社の筍(たけのこ)さん、若宮神社の萩、向日のしずく松、ゆるぎ松。もうひとつが阿須々伎神社の茗荷さんである。七不思議のうち‘篠田神社の筍さん’は茗荷さんと同様に節分の行事として農作物の豊凶を占うもの。こちらはト占に篠竹の筍を用いる。深い雪の下で篠竹もまた、しっかりと若芽(筍)をはぐくむのである。その他の七不思議もみな不可思議な現象を伴っている。志賀郷は元慶以来の奇瑞の郷。由良川の支流犀川の上流で、この美しい山里は春夏秋冬、祭の花を咲かせている。−平成24年2月− |
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阿須々伎神社の翁面 |
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翁面(阿須々伎神社) |
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翁面(日光作。室町) |
阿須々伎神社の絵馬殿に翁面の額がかかっている(写真)。飾り眉や顎鬚を欠き、劣化が激しいが、日光作の猿楽面とよく似ている。また写真から見て口裂の線で面が上下に切り離されており、紐で結び合わせて使用したものと推され、様式に古様を感じさせる。室町時代の猿楽面ではないかと思うが、丹波猿楽(大和猿楽参照)との縁も推されよう。
阿須々伎神社の秋祭は棒振りなどで知られているが、かつては坊口地区の氏子によって能のようなものが奉納されていたという(地元の氏子談)。この社の古い歴史が知られよう。しかし、後継が途絶え10年ほど前に廃絶に至ったという。何とも残念であるが、味わいのあるよい面である。(参考:奈良豆比古神社の翁舞) |
茗荷祭(平成26年2月3日) |
雪のない茗荷祭だった。
祭は午前10時過ぎから始まり本殿で祝詞の奏上などが行われ、同10時半過ぎから茗荷田でお刈上げが斎行された。茗荷田の早生、中生、晩生の各区から生え出た茗荷が刈り上げられ、宮司がその育ち具合などによって稲の作柄を占い、公表された。
丹波・丹後地方は昨年9月、水害によって大きな被害の発生をみており、茗荷の検分に関心が寄せられた。検分結果は、今年は稲の作柄はよく、大きな水害はない、干ばつには至らないが少し水不足になる気配とのことだ。−平成26年2月3日− |