京都・紫野に今宮神社が鎮座する。例年、4月8日、今宮神社の境内社・疫神社のやすらい祭が催される。やすらい祭は太秦・広隆寺の牛祭とともに「見るも阿呆、見ぬ
も阿呆」といわれるほど京都の古風が滲む祭。奇祭としても名がある。髪を振り乱し、勇躍として踊る大鬼のイメージからそのようにいわれるようになったものか。
やすらい祭は祭の歴史的な由緒や民族芸能史的な観点からも重要な祭といわれる。
やすらい祭の名は歌のハヤシである‘やすらい花や’にあるらしい。
また祭の起源は律令制下、宮中の祭とされた鎮花祭にある。春、花の飛び交うころは厄神が飛翔して人を悩ませる。これを鎮めるため、朝廷(神祇官)の公事として、大神(おおみわ)、狭井(さい)の2神を祭り、諸所の天神地祇はそれに見習って鎮花祭を行ったのである。
やすらい祭の‘やすらい’には‘花よ散ってくれるな’という意味がある。その願いを込めた花は稲の花である。一方、祭の花傘に飾られる花は桜や山吹などであり一見、矛盾するが、やすらい祭の歌が古い時代に田歌から生じた歴史を示していて興味をひく。花傘は風流。歌に併せ踊る大鬼の踊りは念仏踊に起源がある。やすらい祭は長い歴史を経て、その時々の芸能を取り込みつつ今日のやすらい祭を練り上げてきたのだ。そしてまた、花傘や念仏踊り(太鼓踊り)の形式は、わが国の祭の原型となって全国に拡散していったのだろう。
やすらい祭は京都の春の最初の祭。いかめしい人がしゃしゃり出ることもなく、京都人の良い雰囲気が感じられる祭である。
やすらい祭の当日、上賀茂、下賀茂、上野地区から祭の練り衆が光念寺に集まる。正午ころには地区の宿から風流傘が寺に持ち込まれる。ゆうに30キロほどはある巨大な傘。午後12時半ころ、祭の行列が寺を出発。
行列の並びは、先立、鉾、督殿(こうどの。練り衆の指揮者)、羯鼓(かんこ。神子・小鬼とも。2名。烏帽子を被り赤の長髪(シャグマ)をつけ、緋の小袖に四季模様の白袴をはき、羯鼓を胸にかける)、大鬼(白衣・白袴に緋の大袖に赤の長髪2名、黒の長髪2名。赤髪が太鼓、黒髪が鉦を持つ)、花傘(2基)、音頭取り(素襖着用)、囃方(素襖着用)の順。花傘は径約2メートルもある巨大なもの。天部に緋の帽額(もこう)をかけ、桜、椿、山吹、柳、若松を挿す(写真上)。傘の中に入ると無病息災が叶うと信じられ、光念寺の境内に傘が運び込まれると待ちかねた人々は競って傘の中に入る。
行列はやすらい花や、やすらい花やとハヤし、唱歌を歌いながら町内の家々を巡回し、踊り(写真上)、今宮神社に向かう。午後3時ころ今宮神社に到着した練り衆は、やすらいの踊りを奉納する。踊り手は羯鼓と大鬼。よい祭である。
門前の茶店で名物のあぶり餅を食す。−平成24年4月8日− |