やすらい祭と松尾祭は千年の伝統がある。少々のことでは驚かない京都人が一目おく祭である。
京都人は松尾祭のことを俗に、「うかうかとお出、とっとお還り」の祭という。祭の期日である「卯」と「酉」のごろあわせをして、渡御祭と還御祭をやっかみ半分に氏地の人々を羨んだものだろう。
全国で斎行される春秋の祭で、鎮守を出た御霊がお旅所に一時とどまり祭典を行う営みは、氏族の祖霊神を地下(支配地)から社に祀るようになった経緯をよく説明しているように思う。このような祭のかたちは中世、松尾大社など京都の諸社が諸国に置いた荘園等支配地の荘官等が領主(家)の氏神を勧請することにより、広く浸透したものだろう。
松尾祭においては二十日余日もの長い間、御霊乃至その分霊が地下にとどまる。秦氏の強大な勢力を物語る。 |