極寒の2月、奈良斑鳩の法隆寺で修二会の行事が1日から3日まで厳修されている。この行事は、同寺の西円堂で行われる薬師悔過の法要であるが、形式作法は金堂で行われる修生会のそれと概略同じである。西円堂修二会の特徴は、最終3日の法楽として雅情豊かな追儺式が行われることにある。いわゆる鬼追いである。
追儺はもともと古代中国のものであったが、わが国では陰陽道の行事として慶雲3(706)年にはじめて宮中で行われた。追儺は次第に寺院で修する修生会や修二会の儀として、或いは招福の民間行事として行われるようになる。民間では室町時代から節分の豆まきとして伝えられている。それら行事の本質は疫鬼を降伏、退散させる厄払いである。「蜻蛉日記」に「儺やらう儺やらう」と騒ぎののしった様子が記されている。追儺の原形であろう。
さて、西円堂の鬼追いは、奈良朝以来、連綿と続く行事である。修二会が終わると引き続き衆僧が堂内に籠もって鐘太鼓を7回半打ち鳴らし終えると、いよいよ鎌倉期の古面を被った黒、青、赤の3鬼が西円堂から
飛び出す段である。この行事は、もともとすべてが堂内で行われていたが、いつのころからか堂外で行われるようになったという。西円堂(写真左)は八角宝形造りで円堂をなし、四面に扉がある。鬼、毘沙門天は、はじめ北正面に現れる。斧を担ぎ宝印をいただき、3本の角が生えた黒鬼(父鬼)が斧を研ぐ所作を行い、松明を沙主役から受取ると3度振り回し、群衆中に投げ捨てる。鉄棒を持った青鬼(母鬼)、剣を持ち小さな角が生えた赤鬼(子鬼)がそれぞれ黒鬼と同様に松明を群集中に投げ入れ、その後方から鉾を持った毘沙門天が鬼を追っ払うしぐさをしつつ、東正面から順次、南正面、西正面へと移動し、都合三回、堂周りを廻る。近年、堂周りはすっぽり金網で覆われ、群集が鬼が投げ入れる松明の直撃に遭うこともなくなったが、この地方では金網に激突した松明の火の粉をかぶり、松明の燃えがらを持ち帰り、招福を願う風がある。また、鬼が松明を群集に投げかけると、鬼に対して口々に狂声怒号を浴びせかけたという。「蜻蛉日記」に記された追儺の古儀が生きていたわけである。鬼はとりもなおさずわが身に潜む鬼である。
西円堂の追儺会に「猫三枚」という古儀がある。いわゆる供養餅(写真右上に餅が見える)で追儺会に供えるものである。その意味するところは、猫にいたるまで無病息災、家内安全を願うものであるという。−平成20年2月3日−
|