|
地車 |
|
化粧幕(地車) |
天野川(交野市)の流域は肥沃な土地が広がるところ。近年、京阪神のベットタウンとして栄え、高層住宅が林立する。私市、私部などの旧市街も例外ではないが、繁華な市街に埋もれるようにして著名な酒の蔵元が所在し、また藩政期以来、木綿等々の商品作物の生産によって栄えた豪農の館が私部等に散在する。私部の通りを歩くと、タイムスリップした古風を感じる。
今日は私部の住吉神社の秋祭り。本殿前に地車が出て、獅子舞が子供の頭を噛み、無病息災を祈る。境には露店が出ている。
本殿前の2台の地車はいずれも藩政期の年代物。化粧幕は製作以来、300余年を経たものという。実に豪華絢爛。本宮際の宵に、子供を乗せ地車が境内を巡行する。このあたりは、まだ北河内の心地よい祭の雰囲気が残っている。 ◇◇◇◇◇◇
交野は古代の河内国交野郷。一帯は物部氏の本貫地とされ、生駒山地の西麓に展開する。古代豪族中、物部氏の由来にはよくわからないところが多い。先代旧事本紀によれば饒速日命(ニギハヤヒノミコト)を祖神とし天の岩船に乗って哮ヶ峰に天下ったとされる。生駒山地にその遺跡が伝承されている。
生駒山地を源流として淀川に流入する天野川の右岸に天田神社(同市私市)が所在し、境内から土師器が出土している。神社付近の古墳の立地状況等を考えるとこの辺りが古代物部氏の活動の中心であったと推しても無理はないだろう。現在、天田神社の祭神は饒速日命ではなく住吉3神と息長帯姫命(神功皇后)。私部郷内の住吉神社の祭神と同じである。「ニギハヤヒノミコト」或いは「アマノイワフネ」の名が示すように物部氏と海との結びつきが九州、壱岐あたりの住吉神を勧請したものか。氏族の遠祖は案外、外来の部族であったのかもしれない。
京都の北部、由良川の中流域に物部(ものべ。綾部市)という地区がある。古い歴史を感じさせる土地だ。全国には物部と名のつくところが散在するが、上代の物部氏は案外、日本海経由で由良川を遡り、氾濫域の灌漑、開拓を進めつつ山城(ヤマシロ)を経て河内に入った氏族であるのかもしれない。その足跡は神武東征以前の古い時代であったのだろう。−平成24年10月− |