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手向山八幡神社御田植祭 |
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手向山八幡神社 |
東大寺の南大門をくぐりると、参道右手に鏡池がある。池の東側山腹に手向山八幡神社が鎮座する。神社は、聖武天皇が大仏造営に当たり、天平感宝元(749)年に宇佐から八幡宮を勧請したものであり、東大寺を鎮守する社である。
同社で例年、節分の日に御田植祭が行われている。祭りは、本殿前の舞殿(拝殿)を田面に見立て、鍬や鋤で起耕し、種蒔きから収穫まで一連の農作業を模擬演技するものである。その形態は、他の神社で行われる御田植祭とおなじであるが、1人の神人の祭文によって農事が進行し、牛面を被り、「モー、モー」と鳴きながら舞台を周回する童が代掻きを行い、早乙女に見立てた巫女がサカキ様のものを奉じ、舞踏的に田植作業を演じるところは極めて特異である。
全国的には、斎田に牛を入れ或いは氏地の早乙女が田植を実演する形態が一般的である。中国地方などでは、御田植祭は村落一統で行われ、田楽の囃子によって早乙女の田植が進行する形態をとるところが多いことを思えば、手向山のそれは御田植祭の古儀を伝承しているのかもしれない。飛鳥座神社(高市郡明日香村)、六県神社(磯城郡川西町)、水分神社(宇陀郡菟田野町)の御田植祭(おんだ祭)など奈良県下には多産祈願や多雨祈願を込めた広瀬神社の砂かけ祭など特色のある御田植祭がずいぶん多い。
御田植祭は豊作の予祝儀礼である。その発生期には、農事が始まる時期(正月)に御田植祭を行ったことは、東南アジアにおける予祝儀礼からみても間違いはなかろう。ジャワ島のそれは極めて舞踏的な予祝儀礼として行われる。稲作ルートの北上とともにその所作の一つ一つは簡略化されつつ厳粛さを増す傾向がある。沖縄がその中間くらいであろうか。
日本では、陰暦の採用によって2月(正月)に御田植祭行うところがある。特に、神社主体の祭りでは圧倒的に2月に行われるところが多いように思う。中国地方では、実際に田植が行なわれる5月に御田植祭を行うところが多い。全国的にはむしろこの時期に御田植祭を行なう地域のほうが多いかもしれない。御田植神事の後、拝殿前で豆まきが行われ、節分行事はとどこおりなく終了した。−平成20年2月− |