京都の北部に胡麻という町がある。地名の由来につき、往古、「牧」があり、駒(こま)が転じて胡麻(ごま)と呼ばれるようになったという説がある。山陰線が通り胡麻駅がある。
丹波高原のモナノドッグというべきこの町の山々は奥丹波に比べ標高600メートル程度と低く、胡麻高原というべき特有の山地を成している。加えて胡麻は、由良川と保津川の分水嶺であるとともに、日本海と瀬戸内両斜面の分水嶺になっていて地形上、極めて特異である。言葉もまた山陰地方と京都(山城地方)の十字路と云うべきところで、京言葉に近い。古老女子の話し言葉は亀岡方面の言葉に似ていて韻律がのびやかである。久御山の前川辺りで聴く言葉と似ていて、他国の人間でなくとも聞きほれる美しさがある。魅力的な京言葉はどうも京都の外延部に残されているように思う。
当地の馬駆け神事(日吉神社)はいわゆる流鏑馬が神事化したものである。現在、京都府下で斎行される流鏑馬神事は数か所かと思われるが、うち2箇所は胡麻が属する丹南市域に分布していて、祭事習慣も京都に近いことをうかがわせる。これもまた往古の牧の存在が流鏑馬神事の受け入れを容易とする土壌を育んで京都市中との密接な関わりがあったことを示すものだろう。
日吉神社の流鏑馬神事は10月の第3日曜日に行われる。平成26年は10月19日(日)だった。祭りは前日の18日から始まっていて、この神事の主要メンバーである馬場量(ばばりょう)、神馬、騎手、射手(女方)、矢取り(子供)の5名が参加する。
主要メンバーの5名は18日の夜、7色の膳と呼ばれる栗、枝豆などを食べ、お籠もりをして、深夜0時に馬場量が胡麻の聖地を巡拝する。夜が明けて19日の朝6時、5名の役付けは禊を行い、8時から氏地のお堂や小詞を巡拝する。日吉神社へ還幸するまでの約5時間、氏地を練り歩き、かなり過酷なものであるが、この神事次第は古来、厳守されているという。
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道行の馬場量 |
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射手と矢取り |
道行は、馬場量、神馬、騎手、射手、矢取りの順。馬場量は行列の先頭を歩き、行列を主導する。紅白の布を巻いた弓の端に紅白のシデを垂らし、巡行の先々で十数か所あるお堂、小詞に参拝し、待ち構える氏子に弓祓いを行う。いでたちは氏地の守護神と信じられている猿につくる。紅白の頭巾、白の上衣に赤の腰巻、白足袋姿。顔に白粉を塗り、口紅をひき、墨で顔や足に隈取りをする。女猿である。神馬、騎手、射手の3名はいづれも乗馬姿で道行き。神馬は鎧兜に具足を着け、背中に神紋を染め出した陣旗を刳りつける。騎手は着物姿で白足袋草履。額に神紋を染めた三角頭巾を締める。射手は女方。黄色の襷がけで、たっつけ姿。花笠を被り、白布を姉さん被り風にして顔に化粧を施し、口紅が引いてある。矢取りは空色の手甲を着け、黄色の鉢巻を締め、赤の襷がけ。袢纏の上着に股引を履き、白足袋姿。背中に矢袋を背負って射手の後ろにつく。
氏地を巡行の行列は午後1時頃、神社近くの馬溜りに到着し、小一時間の休憩。
午後2時から馬駆けのメインイベントが始まる。宝前の馬場(道路)で神官が細かく切り刻んだ紙で馬場を散華し、馬駆けの安全祈願を行う。200メートルの馬場を馬場量が祓い清め、馬場を射手が5回、騎手3回、神馬1回走る。馬場がコンクリートかつ、狭隘なため、観衆の安全や馬のヒズメへの配慮からか疾走は非常に穏やかなものである。
馬場に3か所、的が立ち、その下に大きな草鞋が結んである。草履は氏地の安全と健康祈願を示すものであるらしい。的を射るのは女方の射手。馬を疾走させ馬上から矢を引くことはなく、的に矢を投げ、矢取りがすばやく拾い上げる。矢取りが拾った矢は神前にささげられる。馬駆けのトリは鎧兜姿の武者が騎乗した神馬。馬場を駆け足で走る。都合1時間ばかりの馬駆けだった。丹波の奇祭といえるだろう。
秋晴れに恵まれて、気持ちの良い祭りだった。−平成26年10月− |