京都
賀茂競馬−京都市北区上賀茂本山−
パラソルに怒号飛び交うくらべ馬 <芳月>

賀茂競馬
@馬場(九折南下)
A修祓後、参進
B一番の番(左方)
C頓宮(左手)、神主幄
桙D
幄舎(左方)E
後見(中央の高台)と
幄舎(後見台の右側)F
 風薫る5月5日、晴天。初夏の陽に神山が萌え、笑う。青みを増した上賀茂神社の芝原が美しい。境内のならの小川のせせらぎが心地よいリズムを奏でる。
 今日は賀茂の競馬(くらべうま)。五穀豊穣の祈祷として寛治7(1093)年から始まった祭。千年の伝統がある大祭である。5月15日には葵祭(賀茂祭)などが 控え、京の初夏は祭で彩られる。
 賀茂の競馬は、5月1日の足揃(あしぞろえ)からはじまり、5日が競馬の本番。足揃は騎馬を走らせ、速さを調べるもの。
 上賀茂神社の一の鳥居をくぐると広大な芝原が広がる。芝原の左手に、埒(らち)を結び二の鳥居まで続いている。この埒内が賀茂競馬の馬場(写真@)。 競馬は左方(さかた)、右方(うかた)に別れ、番(つがい。2頭)の騎馬が勝敗を争う。騎手(者)は乗尻(のりじり)と称し、賀茂衆の譽だ。左方の乗尻は緋(ひ)の闕掖袍(てつてきほう)・緋の裲襠(りょうとう)を装い、、右方のそれは黒の袍に裲襠をつける。頭に冠を頂き、腰に菖蒲を巻く。身の安全と清浄を願う印という。いでたちは舞楽の舞人のそれと同じで実にゆかしいもの。装束の色の違いから左方を赤、右方を黒ともいう。
 競馬の勝負判定を行う念人(ねんじん)、乗尻らは打ちそろって本殿に参進(写真A)し、陰陽道の作法により清祓をうけ、奉幣、祝詞があって退下する。
 馬場にでた騎馬は九折南下のウォーミングアップ(写真@)により馬は馬場に慣れ、乗尻は闘志をかきたてる。
 競馬は第1の番から都合数回行われる。第1の番立は少し変わっていて1頭づつ馳せる。左方が先馬となり馬場の半ばまで7度廻し、鞭を先方に突き出すように構え全速で疾走する(写真B)。町奉行の馬である。次に右方の追馬が走る。乗馬方は左方と同じであるが空走(むだばしり)ともいい、必ず先馬が勝つ決まり。これからが本当の勝負で速さを競う。
 馬は常に1馬身ほど間隔をおいて馬出しの木(桜)辺りから出走し、勝負の木(楓)までに1馬身の間隔が縮まらなければ「持」(もち。引き分け)となる。途中、鞭打の木(桜)があり、乗尻はここで声を揚げ鞭を上げる。勝負の検証は単に速さだけではなく、乗馬姿勢や声の揚げ方なども考慮され、なかなか厳格なものだ。
 芝原を見渡すと、馬場の東に竹矢来に囲まれて、頓宮(とんぐう。神霊の仮屋)と神主幄(写真C)が並びその前に祭桙(ほこ)が立ててある。施馬が進み桙が横倒しになると、後半戦の印となる(写真D)。昔は5番が終わると舞楽狛鉾を舞い、音楽狛鉾や打毬楽を奏し、5本の祭鉾を横に伏せて半分済んだことを知らせたことが年中行事大成などにみえるが、昨今は舞楽などはみな断絶し、僅かに乗尻の装束にそのよすがをとどめるのみである。
 勝敗の判定は埒の左右にそれぞれ設けられた幄舎(あくしゃ。写真E)に控える念人(ねんじん。沙汰衆)によって検証される。左右幄舎にはそれぞれ後見が配される。左方の後見は馬場が一望できる高見の台に登り、勝負判定を行う権限を持つ(写真F)。右方の後見は乗尻の発声、冠頭合わせ(相撲の立会のようなもの)などの良否につき判定を行う権限を持つ。後見の所見は念人に伝えられ、勝負判定は念人によって鉦・太鼓、朱の日の丸・白の扇で勝ち負けが示される。太鼓、朱の日の丸の合図は左方の勝の合図となる。
 馳馬が終わると乗尻は左方は東、右方は西の幄舎に行き勝敗をたずねる。勝者には念人から「勝にござる」と伝え、禄として白絹が与えられる。乗尻はこれを馬上から鞭先で受け取り(写真E)、馬を下り頓宮に詣でる。負けた方は、昔は頓宮に参拝することなく直ちに家に帰ったという。
 なお5月1日足揃の成績によって番立てが行われ、乗尻に廻す廻状は奉書きのすこぶる古風なものと聞く。また昔は22箇所の荘園中、20箇所の荘園から馬を1頭づつ出した縁から、「倭文御荘 芦毛 依例上々 (氏名) 一」(番立1の籤取らずの例)など荘名が記された。

賀茂競馬 年中行事大成抄出
 わが国では古来、朝廷において5月5日の行事として「くらべうま」が行われ、平安時代には親王以下諸官が走馬を献上し、武徳殿の庭で2頭立の競馬が行われた。賀茂競馬はこの武徳殿の競馬を移したものと伝えている。また5月15日には賀茂祭(葵祭)において、上賀茂神社、下賀茂神社において走馬の行事がある。これは2頭立てでなく、鈴を懸けた馬が1頭づつ社前の馬場を走るもので、五穀豊穣を願って欽明天皇のころから始まったとものと伝えている。
 全国にも神殿周りを馬が駆け回ったり、飾り付けをした馬の風流行列を行っているところがある。いずれもその淵源は、馬の力を確かめて五穀豊穣願うという心意にある。私たち農耕民族にとって馬はその馬力によって人の何倍もの力を発揮するかけがえのない労働力であった。馬は人同様にいつくしみ、育てられた。そうした五穀豊穣を願う日本人の心意のもと、神の召す馬の力を確かめる行事が大荘園主であった賀茂社のもとで祭事化し、全国に広がって行ったのではないだろうか。京の北辺で、古儀を失うことなく今日まで賀茂競馬や賀茂祭が伝えられてきたことは驚嘆の一言に尽きる。−平成24年5月−
参考:九州 福岡 博多祇園山笠 筥崎宮の放生会 玉せせり 玉垂宮の鬼夜 婿押し(春日神社) 博多どんたく みあれ祭(宗像大社) 小倉祇園太鼓 佐賀 市川の天衝舞浮立 唐津くんち 四国 愛媛 七ツ鹿踊り 南予の秋祭り  保内の四ツ太鼓 和霊神社の夏祭り 香川 牟礼のチョーサ 四国の祭り 梛の宮秋祭り ひょうげ祭り 小豆島の秋祭り 徳島 阿波踊り 中国 広島 安芸のはやし田 壬生花田植 豊島の秋祭り  ベッチャー祭り 三原やっさ祭り 岡山 西大寺会陽 近畿・京都 湧出宮の居籠り祭 松尾祭 やすらい祭 木津の布団太鼓 祇園祭  田歌の祇園神楽 伊根祭(海上渡御) 三河内の曳山祭 大宮売神社の秋祭り 籠神社の葵祭り 本庄祭(太刀振りと花の踊り)  紫宸殿楽(ビンザサラ踊り) からす田楽 野中のビンザサラ踊り 矢代田楽  大阪 八阪神社の枕太鼓 四天王寺どやどや 杭全神社の夏祭り 粥占神事 天神祭の催太鼓 生国魂神社の枕太鼓 天神祭の催太鼓 秋祭り(藤井寺) 南祭 枚方のふとん太鼓 科長神社の夏祭り 岸和田のだんじり祭り 奈良 龍田大社の秋祭り 大和猿楽(春日若宮おん祭) 奈良豆比古神社の翁舞 當麻寺の練供養 漢国神社の鎮華三枝祭 飛鳥のおんだ祭り 二月堂のお水取り 飛鳥のおんだ祭り 唐招提寺のうちわまき 国栖の奏 滋賀 麦酒祭(総社神社) 西市辺の裸踊り 多羅尾の虫送り 大津祭 北陸 福井 小浜の雲浜獅子 鵜の瀬のお水送り