近畿風雲抄
奈良
唐招提寺の大般若転読法要(大般若法会)−奈良市五条町−
 極寒の1月15日。唐招提寺礼堂において大般若転読法要(大般若会)が厳修された。礼堂は単層入母屋、桁行き19間、開山伝来の釈迦如来を安置する(写真下)。礼堂の崩れた築地の向こうに校倉造りの経堂が建っている。ときおりヒヨドリの鳴き声が寂とした境内の霊気を劈き、築地の傍らでマンリョウやワビスケが冬の淡い陽を浴びて美しい。
 大般若会は大般若経600巻余の転読を行う法会。密教、禅宗など宗派を問わず修せられる宗教行事である。南都では当寺の大般若会と薬師寺の心経会が知られ、期日には近在の善男善女や遠来の篤信者の参拝がある。
 儀式は午後1時から油皿の燈明の下、礼堂内陣で修せられる。礼堂は天平時代に建てられ寺創建時代の重要建築物。蔀戸から射す光が外界を絶つ。外陣で法会を拝観しタイムカプセルに入ったような気分になること小一時間、詔して行なわれた天平時代そのままの大般若会は終了した。 
 大般若経の転読は礼堂において僧侶が経典の1巻1巻を頭上高く差し上げ、唱文を唱えながらパラパラと繰り行なわれる。外陣で拝観する参詣者は600巻余の転読が終わると導師から加持を受け、御札をいただき1年の護符とする。なんともすがすがしい気分になるものである。

 天平勝宝4(752)年大仏開眼が行なわれ、2年後の天平勝宝6(754)年に来朝した鑑真は東大寺の戒壇において天皇以下僧侶に戒を与え、わが国は名実ともに世界に冠たる宗教国家となった。東大寺で5年間過ごした鑑真和上は天平宝字3(759)年、唐招提寺を創建した。
 正史によれば和銅元(708)年諸寺に大般若経の転読が詔され、その後も朝廷は大寺や諸国の寺にしばしば転読を命じた。鑑真和上の渡海に相前後して盛んに大般若経が転読されるようになった。
 聖武天皇の治下、日本は天災や反乱によって大いに乱れたが、それに併せるようにして宗教国家への礎が築かれて行く。鑑真の招聘によって無数の僧侶が受戒し、幾多の経典が読まれ、確固たる宗教国家の威容が整っていったのである。その過程において、わが国に大般若経の転読という祈りのかたちができたのだろう。−平成28年1月−

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