壬生の花田植−山県郡千代田町壬生−
壬生の田楽
 北広島の壬生の花田植は6月4日。壬生商店街近くの特設会場で行なわれた。花田植にサンバイ(三拝)、飾り牛の追い子、早乙女、大太鼓、小太鼓、横笛と総勢100人が参加。実に華やかなものだった。
 この地方の田植は大体5月の連休中に行なわれる。花田植は、農繁期の慰労も兼ねて行なわれるようである。
 当日、商店街は大勢の人出で賑わい、商店街近くの路上に露店がテントを連ねる賑わいよう。
 壬生の花田植は、参加者や飾り牛の数等において、北広島の最大規模のまつりである。
 壬生神社が飾り牛の出発点になっていて、田植会場まで飾り牛の道行きでまつりは始まる。
道行き 代かき
代かき 田植(早乙女)
 飾り牛による代かき、エブリつきが終わるとサンバイと早乙女、大太鼓等の田楽団が水田に入場。サンバイの囃子にあわせて早乙女が田植唄を歌いながら田植は進行してゆく。
 田楽団は、はやし田(花田植)を伝承する川東田楽団と壬生田楽団が参加。かつては、川東田楽団と壬生田楽団が別々に実演していたようであるが、今は原則、両団の舞踊と伴奏は同時進行の形になっている。衣装は若干の違いがある。早乙女も同様に違いがある。
 花田植の会場はカメラマンで立錐の余地もないほどの盛況ぶり。中国自動車道の完成をみて久しく、全国からこの華やかで田園の情緒豊かなまつり気分を求めてこの町にやってくる観光客も多い。−平成18年6月−

花田植のこと
 北広島の花田植は、田の神を下ろし、五穀豊穣を祈るまつり。稲作民が伝承してきたまつりの一つで、田楽に起源がある。三拝(サンバイ)という神がやどるササラ(サンバイ)を手にした者をサンバイと称し、まつりの指揮をとる。
 10世紀頃、稲作の栽培法が直播から田植に移行したとみられ、枕草子に次のような田植の様子を描写した記述がある。・・・いと多う立ちて唄うたふ。・・・うしろ様に行く。・・・(下記参照)とあり、このころ、田植田楽がはじまったのであろう。その様は法然上人絵伝や栄華物語などによって知られている。11世紀になると田楽は農村から都の市中に広がり、鼓笛の音色高らかに市民や貴人の使用人が踊りはじめ、次第に貴族層にまで波及する。堀河天皇、上皇などが殿上人が演じる田楽を観覧したのはこのころだ。
「賀茂まゐる道に、田植うとて、女の新しき折敷のやうなる物を笠にきて、いと多う立ちて唄うたふ。折れ伏すやうに、またなにごとするとも見えで、うしろ様に行く。いかなるにかあらむ。」 <枕草子>
 湿地を好む稲は、その栽培上、克服すべき管理上の課題がいくつかある。病害虫の発生に加え、かんがい期における用水の確保と管理上の課題などもあり、心配事は数限りがない。主食に米を選択した日本民族は、そうした心配事に加え、いつも飢饉と隣り合わせの生活だった。
 今日、農薬の発達や多目的ダム或いは頭首工などの設置によって病害虫や水にまつわるいくつかの課題は解消されたが、天気は天与のもの。いまなお、農家の自然への祈りはつきることがない。
 代かき、田植え・・・、稲作は牛と人との共同作業だった。時間をかければかんがい期が延び、田によっては用水が地下に浸透し貴重な水の確保が困難になる。下流の農家はいてもたってもおられず、紛争に発展する地域もあった。田植えは一気加勢に行うことが基本。稲作民が古来、持ち続けてきた田植えの伝統である。そのため、不足する労働力を農家相互間で補完しあう共助の方法が生まれ、「ゆい」又は「講」の連中によって田植えは短期間のうちに行われた。近年、農業の機械化によって、そうした文化の崩壊が始まって久しく、はやし田(花田植)にかろうじて「ゆい」の断片を残すのみである。
 花田植は、豊饒への祈りであるとともに、苦痛を伴う労働を楽しく、おもしろくする考えから、三拝のはやしや早乙女の田植唄の歌詞なども次第に豊かになり、まつりの規模も次第に大きくなっていったのであろう。
 北広島の花田植(はやし田)は、随分華やかなものである。飾り牛の鞍など各地の田楽の道具類と比較してもひときわ華美である。田植唄の歌詞の数も豊富。そうした花田植の隆盛は、藩政期におけるタタラ師の存在を無視できないだろう。中国山地は鉄山経営でうるおった。タタラ師の中には田楽団を組み、近在に出かけて花田植を行なうなどその保存、発展に努める者もいた。大地主は花田植の協力者でもあった。多くの飾り牛や着飾った大勢の早乙女、大太鼓などの囃子方を田に入れ、華やかさを競ったのである。はやし田を花田植というのもそうした田植の華やかさをあらわしたものである。
 今年の壬生の花田植は、飾り牛の追い子にはじめて高校1年生の女性の参加があった。各地の花田植によばれることも多いとのことであるが、新庄のはやし田では1番飾り牛を引き当て、約1時間にもおよぶ長丁場を無事、追いきった実績は見事なものだ。多くの飾り牛をしたがえ、歩み方の型も多く基本を覚えるまでには相当、苦労もあったはずだ。淡々と、無表情で牛を追う姿は見事というほかない。記念すべき1ページが花田植史に書き加えられた。
 北広島のはやし田が発見されてからそれほど年月を経ているわけではないが、各地から来演を求める要請があとをたたないという。−平成18年6月4日−

参考:九州 福岡 博多祇園山笠 筥崎宮の放生会 玉せせり 玉垂宮の鬼夜 婿押し(春日神社) 博多どんたく みあれ祭(宗像大社) 小倉祇園太鼓 佐賀 市川の天衝舞浮立 唐津くんち 四国 愛媛 七ツ鹿踊り 南予の秋祭り  保内の四ツ太鼓 和霊神社の夏祭り 香川 牟礼のチョーサ 四国の祭り 梛の宮秋祭り ひょうげ祭り 小豆島の秋祭り 徳島 阿波踊り 中国 広島 安芸のはやし田 壬生花田植 豊島の秋祭り  ベッチャー祭り 三原やっさ祭り 岡山 西大寺会陽 近畿・京都 湧出宮の居籠り祭 松尾祭 やすらい祭 木津の布団太鼓 祇園祭  田歌の祇園神楽 伊根祭(海上渡御) 三河内の曳山祭 大宮売神社の秋祭り 籠神社の葵祭り 本庄祭(太刀振りと花の踊り)  紫宸殿楽(ビンザサラ踊り) からす田楽 野中のビンザサラ踊り 矢代田楽  大阪 八阪神社の枕太鼓 四天王寺どやどや 杭全神社の夏祭り 粥占神事 天神祭の催太鼓 生国魂神社の枕太鼓 天神祭の催太鼓 秋祭り(藤井寺) 住吉の御田 住吉の南祭 枚方のふとん太鼓 科長神社の夏祭り 岸和田のだんじり祭り 奈良 龍田大社の秋祭り 大和猿楽(春日若宮おん祭) 奈良豆比古神社の翁舞 當麻寺の練供養 漢国神社の鎮華三枝祭 飛鳥のおんだ祭り 二月堂のお水取り 飛鳥のおんだ祭り 唐招提寺のうちわまき 国栖の奏 滋賀 麦酒祭(総社神社) 西市辺の裸踊り 多羅尾の虫送り 大津祭 北陸 福井 小浜の雲浜獅子 鵜の瀬のお水送り