京都
伊根祭(八坂神社の例祭)−与謝郡伊根町−
祭礼船
 京都府の北部に丹後半島がある。その北東部に伊根という港町がある。湾口が南方にひらき、湾の入口に青島が浮かぶ。季節風に強く、深海の湾内にブリが回遊しクジラが獲れる稀有の良港だった。
伊根の町(日出) 湾口に沿って、日出、高梨、平田、立石、耳鼻(にび)、亀山などの町が連なり、うなぎ道とも呼ばれる1本の道路が港町をくねくねと巡り、地区を繋ぐ。
 道路を挟んで海側に舟屋、山側に本宅を設けあわせて1軒の家をなす家庭が多い。舟屋の横に連なる土蔵造りの倉はブリやクジラ漁で潤ったあかし。
 平成26年7月27日(日)、今日は高梨に鎮座する八坂神社(祭神は建速須佐之男命(素戔嗚尊))の本宮祭。朝から雨模様の天気も回復し、昼前には灼熱の太陽が照りつける夏の天気に戻った。
 伊根の夏祭りは約300年の歴史があるという。そのころ京都の八坂神社から牛頭天王(神仏分離後は素戔鳴尊)を勧請したものか。神社の創建と祭りの起源が確定できる記録はないという。
 八坂神社の氏地は平田と亀島(高梨、立石、耳鼻、亀山地区の惣称)。立石、耳鼻、亀山は、伊根湾を挟んで神社所在地の高梨の対岸の町。うなぎ道を通うと神社まで数キロにもなる。したがって、亀島の氏子は伊根湾を横断して五百メートルほどの海上渡御となる海上ルートを往き、高梨の宮の浜に上陸し宮入りする道行を選択したのだろう。それはまた、海の豊饒や海上安全を願い、祓いをする最良の道であった。
 伊根祭は、大祭年に船屋台が出て海上を巡航。湾上に宝来山、稲荷山、神楽山、 蛭子山と名づけられたきらびやかな船屋台が航行し練り往くさまは、この祭りが「海の祇園祭」とはやされる由縁。伊根浦の祭の華であろう。大祭実行の可否は氏子衆の協議により決められる。今年は例祭の年。船屋台の出番はなかった。
笠鉾(花笠)
幟
稚児舞い
御稚児舞い(2)
 本祭の日、湾奥の平田が「稚児舞い」、亀島が「棒振り・太刀振り・獅子神楽」、日出が「神輿」を奉納する。
 正午ころ平田の一行は氏地の集合場所を出て笠鉾(花笠)を先にして幟、笛太鼓の雅楽の囃子方、稚児などが行列を組み、うなぎ道に沿って練り歩き宮入り。
 神社の拝殿下の広庭に注連縄を巡らせ榊・鏡・五色の幣を祀り、稚児舞いが奉納された。御稚児は女子(2人)と男子(1人)の3人。
  笙、篳篥、龍笛、太鼓が奏でる雅楽の音にのって稚児舞いを奉納。三方に重ねた折敷に盛ったコメなどを捲き或は榊の葉などで清めのしぐさなどをしてお辞儀を繰り返し、終いは御稚児の3人舞い。拍子木で曲目の変わり目を知らせる。私はこの種の稚児舞に未だ接したことがない。優雅で愛らしく、高雅な清浄感がある。稚児舞いの淵源はいわれるような花踊りではなく、むしろ四方拝に通じる神楽系統の舞いではないかと思ってもみるがどうだろうか。
 午後12時半過ぎ、稚児舞いの奉納が終わる。
海上渡御
海上渡御(祭礼船)
 神社境内下から伊根湾を見渡すと立石の浜に神楽丸(船)がみえる。しばらくして、右手の浜から祭礼船が漕ぎ出してこちら(八坂神社)に向かっている。両船の船体が右、左にゆらり、ゆらりと揺れトモで櫓をこぐ姿が見え隠れする。
 神楽丸の舳先に立ちたっつけ、白足袋姿で笛の音に合わせて御幣と鈴を振り、祓い清めのしぐさをする「天狗」、脇でササラを擦る「おかめ」、「ひょっとこ」がチャンバを叩き舞う。神楽丸の中央に据えられた「荷」は太鼓の囃子屋台(楽台)。大神宮の幟が添えてある。笛、太鼓の神楽囃子にのって船は進む。神楽丸と祭礼船が相前後して進む。
 祭礼船の舳先に立って軍配を採るシンボシ(小学低学年)。難解な呼び名で語源がよくわからないが、丹後では祭或は集団の要となる者をシンボシ又はシンポチと称するようである。シンボシの脇で棒振り、太刀振りの少年が凛として船上に立っている。
 シンボシは黒い縁取りをした赤の投げ帽子に陣羽織を着用。絣のたっつけに白足袋姿が凛々しい。棒振り、太刀振りの少年は袖なしの上衣にピンクのタスキをかけ、絣のたっつけ、白足袋のいでたち。赤い鉢巻をして向こう正面に白紙を差す。少年たちの上衣、たっつけの柄がみな違い、丹後が織物の先進地であることがわかる。祭礼船の中央に笠鉾(花笠)が据え、両横に剣鉾が見える。もう一方の祭礼船には舳先に太刀振りの少年が分乗し、後方に着流し、羽織袴の氏人の姿が見える。
 祭礼船、神楽船はゆるりゆるりと海上を行き、午後1時20分ころ祭礼船を先にして高梨の宮の浜に上陸。そこから笠鉾、幟をうちたて、トッケツを先にして獅子神楽、次にシンボシを先にして棒振り、太刀振り、笹囃子の少女たちが宮入りする。
獅子神楽宮入
練り込み
棒振り
太刀振り(遠景)
太刀振り
 午後1時35分、境内に太鼓の音が鳴り響き、笛太鼓の笹囃子が始まると祭り気分は一気に盛り上がる。そこへ着流しに白足袋、雪駄履きの青年に担がれて勢いよく獅子神楽の荷(楽台)が練り込む。
 次に、石段下から右手に神楽鈴、左手に御幣を掲げて獅子舞が広庭に登場。
 これで棒振り、太刀振り、獅子神楽の奉納メンバーが勢揃い。トッケツを先頭にして獅子舞、シンボシ、棒振り、太刀振りの順に広庭を左回りに周回する。 
 次に、少年2人による棒振り。長さ1メートルほどの太い棒に絣の布を、その中央には白紙を巻く。先端は色紙を束ね揃えてシデに作ってある。
 棒振りの奉納に次いで、小中学生6人による太刀振り。棒振りとの合間などにシンボシが登場し、拝殿前に躍り出て採り物を足元に置き、両足をそろえてピョンと一跨ぎして万歳と叫ぶ。
 太刀振りのよく慣らされ踊りも上出来。祭神もご満悦だろう。
  伊根・八坂神社の手水鉢
 八坂神社の境内に「宝暦十一年巳六月吉日 立石若者大神楽連中」と記銘された手水鉢がある。この金石によって八坂神社の獅子神楽は立石の若者によって奉納され、少なくとも宝暦11 (1761)年から253年間続いていること、「大神楽」の記銘は楽台と併せ伊勢大神楽との関連をうかがわせ、その影響下で立岩の獅子神楽が形成されたものであることがわかる。
 次に、獅子神楽の奉納。荷(楽台)に据えられた太鼓、笛で囃し、トッケツを先にして神楽は進む。トッケツのいでたちは、袖のない分厚い上着に化粧まわし風のバレンを着用。白鉢巻きに手甲脚絆、白足袋に草鞋履き。
 獅子神楽の皮切りは「幣の舞」。トッケツが大きな鈴を上下させながらゆっくりと広庭を回り、そのテンポに合わせ、獅子が右手に御幣、左手に鈴をさしあげて姿勢を崩さずに舞う。幣の舞は丹後の秋祭りなどで奉納される一般的な曲目の一つであるが、頭と尻取りの調子も良く、重厚で荘厳さすらある。伝統のある古式の舞であることが金石(囲み記事参照)からも証明できる。玄人好みの獅子神楽の華と言えるだろう。トッケツの上腕部が一回り太く見えるのはこの採り物の重さ故であろう。
 次に「剣の舞」が奉納された。獅子が刀をくわえ、抜刀して舞う。この舞いも丹後で広く行われる曲目であるが、おこりに通ずる所作がなく、やっぱり古式を感じさせる。よい神楽だった。
 獅子神楽2曲舞い終わると、獅子による子供の頭噛みの行事。この社では頭噛みは乳飲み子に限定して斎行され、神事の色彩が色濃い。「今年は7人」と弾んだ氏子の声が聞こえる。新生児の誕生は伊根浦においても獅子神楽奉納、二百数十年来の住民の最大の関心であるらしい。神楽奉納の若連中の意気もあがるというものだ。神楽を舞い終わると荷は一気に階段下まで駆け降りる。祭神は建速須佐之男命なのだから特に、荒事を好まれるようだ。 
 伊根祭はさらに夕刻まで続いた。−平成26年7月27日−