京都
籠神社の葵祭り−宮津市字大垣−
太刀振り
 例年4月24日は天橋立の籠神社(このじんじゃ)の祭日である。京の賀茂社とのゆかりから葵祭りと称し、凰輦の巡幸や大神楽(獅子舞)、太刀振りなどが奉納され、この日は天橋立見物の観光客を交え、街中はずいぶん賑やかである。
 凰輦の巡幸に先立ち、午前中、本殿前で楽台(屋形)に太鼓を載せ大神楽が奉納され、参道の神事場で太刀振りが奉納された。本殿前の境内では獅子頭に丸棒をつけた素面の獅子が暴れまわり、参詣人を沸かせている。
 楽台を曳き獅子舞を演じる大神楽のかたちは寛文・延宝(17世紀)年間から始まったとされ、伊勢大神楽のそれを思わせる。いつのころか籠神社の祭に山鉾の巡幸が途絶え、籠神社と伊勢神宮との縁から大神楽が奉納されるようになったものか。伊勢神宮の内・外宮の祭神はいずれも丹波国(和銅年間に丹波と丹後に分国)から遷座したという伝承が日本書紀や倭姫命世記などにしるされており、この地方の上代における伊勢神宮との深い縁を偲ばせる。
 太刀振りは振鉾(しんぶ)ともよばれ、両端に紙の房を付けた1.2メートルの棒に90センチの刀を仕組み、演者が体の前にかざしたり背中にまわしたり、刀を横手に構え飛び越えたりして参詣者を沸かせ、笹ばやしが祭りを盛り上げる(写真左下)。
 午後、太刀振りの露払いで、凰輦の巡幸が始まる。起伏のある市街をゆるりゆるりと行列が進む。凰輦に供奉する神官などは冠などに藤の花を挿して進む。後拾遺集に良暹法師が国守橘俊綱(関白藤原頼通の子)を丹後に訪ねたときに詠った歌が後拾遺集にみえ、すでに平安時代には藤の花を挿す風があったのだろう。−平成23年3月−
千年へん君がかざせる藤の花松にかかれる心地こそすれ 
                    <後拾遺集 良暹法師>