南予の秋祭り
三瓶(高島・須崎を望む)(拡大
宇和島(遊子)(拡大
イワシ網
かまぼこ加工
(宇和島・野中かまぼこ店)
拡大400pX
南予の概観
 四国の西端、佐田岬半島の南に碧い海がひろがる。宇和海だ。そこは四国山地が海に落ち込み、断崖に波頭が砕けるリアス式海岸。複雑な地形は長い海岸線に自生する亜熱帯性植物のアコウやバベ(ウバメガシ)を育む。紺碧の海に浮かぶ島々が美しい。
 宇和海は鯛やイワシ、アジ、サバなどの青物の宝庫。藩政期のイワシ網は西国一。干鰯は宇和島藩の財政を支えた。海流の変化などにより漁は減ったが、網曳く船は今も豊かな宇和海の象徴であることに変わりがない。ハランボなど味の良い小魚から丁寧に加工されたかまぼこやてんぷらは絶品。宇和海の特産品である。
 眼前の海に浮かぶ筏は鯛や真珠貝の養殖筏。振り向けば、段畑(だんばた)で黄色く実ったミカン畑は天に至る。温暖で青く明るい空と海とに囲まれて、南予のミカンは育つ。遊子水荷浦(宇和島市)の見事な段畑ではジャガイモが栽培され、外泊では急傾斜地に見上げるような石垣を積み上げて宅地を造成した。家を建て、アサジリで自給の野菜を栽培し、街や畑の道から防風壁に至るまで外泊は石造りの文化をこの国に生み出した。紺碧の海を行く大小の商船やフェリー。国道378号線が海浜に迫る山塊の中腹或いは潮かぶりの海岸線を縫うように走る。国道378号線は国道56号線とともに南予の幹線。
 肱川上流の宇和や四万十川上流の鬼北或いは三間の内陸盆地は愛媛県の穀倉地帯。野村、城川、久万などの山間部では酪農やトマトなど野菜の促成栽培が盛ん。四国カルストでは酪農が営まれ、観光開発も進んでいる。
南予の秋祭り
 南予の秋は祭りの季節。10月中旬ころ三瓶や南予・大島で始まる祭りの前線は、山間部を巻き込んで国道378号線或いは国道56号線沿いに南下し、11月上旬に四国最南端の愛南(町)に至る。南予の祭の波は、怒涛の如く海岸端から山間部まで覆い尽くし、徐々に南下して土佐境に至るのである。
 南予の祭の形は九州、中国、近畿・北陸のそれと比べ、神輿渡御の行列ひとつとっても番数が多く、また山車や踊りなど出しものにバラエティーがあり見ていて楽しい。
 近年、大阪、京都、福岡など都会周辺では青少年が減少し、出しものの番数が減り、祭りの実行すら不可能なところが少なくない。逆に青少年が多い都会では祭りが盛んになる傾向があり、地域の活力がそのまま祭りに反映する皮肉な現実がある。
 しかし、南予では遊子谷(ゆすたに)の秋祭りのように廃絶の危機に陥っても諦めず工夫を重ねながら、戦中戦後を通じ1回の中断もなく継続しているところも多い。南予人の祭への情熱は、漁業であれ農業であれ、時化や干ばつなど自然の脅威と向き合い生活してきた南予人の豊穣への強い願いから生まれるのだ。
三瓶・国造神社の秋祭り

甚句道行

唐獅子練り
五ツ鹿
御荘・八幡神社の秋祭り
四ツ太鼓
保内・三島神社の秋祭り

御車
四ツ太鼓
 南予の秋祭りの特色の一つは、神輿渡御に供奉する出しものの豊富さだろう。大名行列を模した一般的な祭のかたちは少ない。西予市三瓶町・国造神社の神輿渡御のそれでは主だった供だけでも牛鬼、甚句、唐獅子、五ツ鹿、四ツ太鼓など8番ほどある。南予の旧町の秋祭りの行列では大体、これくらいの供が一般的。八幡浜市保内の三島神社では牛鬼、唐獅子、五ツ鹿、四ツ太鼓に加え御車(2基)、御船が供奉するなど地域、地域の特色があり、番数に若干の増減が生じる。
 供のうち四ツ太鼓は、瀬戸内を中心に九州から近畿地方にまで広く分布するチョーサ或いは太鼓台をそのように呼ぶ。南予の四ツ太鼓は、他県のそれと比較して天部の布団が薄く、太鼓台の柱周りの飾りなども簡略化されるのが一般的。南予では宮入するダシの練りの囃しを四ツ太鼓が務め、図体を装飾的かつ軽く作る風が一般化したものと思われる。愛南町御荘・八幡神社の秋祭りでは独立した囃し方(囃子は下永・岡集落が勤仕)が存在し、このような形をとるところでは四ツ太鼓は大きく他県の太鼓台と変わらない。同町福浦・若宮神社など四ツ太鼓も同様に大きなものである。
 御荘・八幡神社の四ツ太鼓は四基。宮入すると次々に練り込み、終いに拝殿に勢いよく突入し祓いを受ける。牛鬼は6ツ、神輿は4基。境内は四ツ太鼓や牛鬼、神輿で埋まり、土佐ざかい一の賑わいをしめす。
 保内の三島神社の四ツ太鼓の打ち子の衣装は紅い襷に投げ頭巾。のびやかな囃子が練り場の祭り気分を盛り上げる。打ち子の衣装は四ツ太鼓の装飾とマッチして美しい。四ツ太鼓はダシの白眉であろう。
 南予では行列に甚句を加えるところがある。着流しの半纏を羽織り、バレン(化粧まわし)を着用。道行に小ぶりの番傘をさす。唐獅子の打ち子やダシの旗持ちなども化粧まわしを着用するのが一般的。化粧まわしの着用は、野村(西予市)の乙亥相撲が江戸時代から今日まで受け継がれているようにこの地方の相撲人気を反映し、根強い人気があるようだ。城川(西予市)の遊子谷では本年の秋祭りで相撲甚句を復活させた。
唐獅子・五ツ鹿共演大会(八幡浜市)

合田獅子

片山町獅子

舌間獅子

五ツ鹿(合田)
御荘・八幡神社の秋祭り

五ツ鹿(拡大400pX
島津町畑地・三島神社の秋祭り
 四ツ太鼓、唐獅子、牛鬼などの旗持ちなどは子供がつとめる。顔や手足に化粧を施す。依代の神聖さを化粧にこめたものだろう。
 牛鬼は南予の祭りの人気者。和霊神社の夏祭りに限らず、牛鬼はたいがいの秋祭りで街を練り歩く。大きなものになると体長はゆうに5メートルを超え、3メートル余の長い首をした巨大なつくりもの。長い首を伸ばして民家を覗き込むしぐさをしながら練り歩く姿は南予人の祭りの原風景。子供の牛鬼を出すところも多い。
 鹿踊りは南予の秋祭りの華。鹿舞歌を歌いながら、胸に括りつけた太鼓を打ちながら踊る。五ツ鹿が多いように思うが、地域により鹿の数が異なり、5〜8ツまである。鹿舞歌は基本的には1曲。地域により少しづつ歌詞が異なる。ゆったりとした歌とリズムで舞う。鹿頭の被りものの色、形やデザイン、衣装にも地域差がある。前垂れで太鼓を覆い、袴の一種である軽珍(かるさん)或いは裁着(たっつけ)の腰の左右に白又は紅白の幣(ヌサ)を下げる。遊子谷の鹿踊りでは笹に短冊を結んだササラを背負う。履物は足袋に草鞋、鹿中の1ツは必ず牝鹿で頭上にハギやススキなど季節の花を挿す。
 近年、直垂、狩衣、裃、裁着、(たっつけ)、半纏、幟、大漁旗など伝統的な祭り着や幟・旗の手染めや裁断、縫製をまとめておこなういわゆる地細工紺屋(じざいくこんや)が消えて久しく、昔ながらの技術を伝承し、盛業中の地細工紺屋は今では若松旗店くらいのものではなかろうか。八幡浜市内の八幡神社近くの古風な街並みのなかに店がある。南予の祭りはこうした紺屋に支えられていることを忘れてはならないだろう。
 南予の神輿は地区により凰輦を含む1〜4基の神輿が出る。全般的にこじんまりとしたつくり。牛鬼や四ツ太鼓が練りのメインになっていて神輿を大きくする必要がなかったものと思われるが、土佐ざかいの神輿は大きく、福浦の若宮神社の神輿のように格別に大きなものもある。
サルタヒコ(宇和津神社)
ボンテン授与(皆江・三島神社)
 神輿の道行につき南予では海上渡御を行うところが多く存在したが、今では狩浜(西予市)や大島(八幡浜市)など数えるくらいになった。
 サルタヒコは祭りの行列の先導役。大島の秋祭りにおける海上渡御ではサルタヒコが船上に立ち、踊り海に向かって祓いのしぐさをする。島民の航海安全、豊漁など海への祈りは尽きるところがない。宇和津神社(宇和島市)の秋祭りではサルタヒコが有志の氏子宅や要所で祓いをおこない、続いて供の巫女が両手にサカキを持って舞う。太鼓の早いテンポに乗って舞う里神楽のモダーンなイメージ。稀有である。
 宵宮(本祭の前夜祭)に神楽を奉奏したり、神輿や牛鬼の舁(か)き手や神職が禊をするところがある。今日、宵宮で神楽を奉納するところは少なくなった。禊の神事もほとんど行われなくなったが、潮垢離が賀茂神社(西予市明浜町高山)で、水垢離が木熊野神社(香川県善通寺市)の秋祭りで今も続いている。
 秋祭りの奉納相撲もまた、衰退した行事の一つ。奉納相撲はかつて南予一帯で行われ、参加者には孟宗竹の先にシメを括ったボンテンが授けられた。持ち帰って床の間などに飾る風がある。今では相撲自体、奉納するところが少なくなったが、西予市三瓶町皆江の三島神社の秋祭りでは奉納相撲が行われ、今もボンテンの授与が行われている。こうした奉納相撲は最早、南予の遺風になりつつある。
 祭りが盛んな南予。しかし、少子化や農山漁村の衰退から次第に忘れられ、廃絶になる行事もある。碧く美しい宇和海や山間からいつまでも祭り囃子が絶えることのない南予であってほしいものである。−平成23年11月−

参考: 八阪神社の枕太鼓(大阪) 杭全神社の夏祭り 木津の布団太鼓 生国魂神社の枕太鼓 天神祭の催太鼓 秋祭り(藤井寺) 小豆島の秋祭り 牟礼のチョーサ(香川) 枚方のふとん太鼓 科長神社の夏祭り 岸和田のだんじり祭り 龍田大社の秋祭り 南祭 祇園祭 七ツ鹿踊り  南予の秋祭り  保内の四ツ太鼓 和霊神社の夏祭り