西光寺辺りの風景−小豆郡土庄町−
西光寺の三重塔遠景
西光寺の三重塔遠景
銀波浦
銀波浦
 土庄港の北に「皇踏山」が聳えている。美しい稜線を天空に架け、東西に横たわる。その南に世界一狭い海峡・土淵海峡がある。海峡を越えると土庄本町の市街。狭い通路を行くと、島四国58番札所西光寺の三重塔(誓願の塔)が聳え、市街の静寂を際立たせている(写真左)。
  西光寺、王子神社に額ずき、落ち着いた佇まいの市街を抜けさらに南に往くと「銀波浦」がひらけている。余島の島嶼が点々と連なり、内海の彼方に五剣山、屋島が四国本土の所在をつげている。干潮が近づくにつれて銀波浦の洲が陸地からしだいしだいに海中に伸び、島と島とをつなぎ大余島と地続きになる。銀波浦の州は詩情そそる海の架け橋。規模は異なるが、どこか薩摩・指宿の知林ヶ島に似たところがある。
■ 西光寺は、島四国第58番札所。朱も鮮やかな二層の山門をくぐると、境内の中ほどにイチョウの大樹があり、正面に本堂、右手の小高い丘に誓願の塔がある。ウバメガシの大株を横目に、参道の急な坂を上り、塔下に立つと土庄の市街や銀波浦などが一望できる。
 西光寺から南方向へ市街を200メートルほど歩くと、西光寺の奥の院・南郷庵跡がある。跡地に尾崎放哉記念館(写真右)が建っている。記念館は南郷庵を復元した建物。南郷庵の庵主としてここで8ヶ月間を過ごした放哉は、庵で遍路のお世話をしながら句作に励み、大正15年4月、瞑目。享年42歳。芸術より芸術以上の境地を求めて(井泉水宛書簡)、句作に励んだ人だった。
  放哉は、南郷庵について、生前に「・・・六畳の間にお大師さんをまつりまして、次の八畳が、居間なり応接室なり、食堂であり、寝室であるのです。その次に、二畳の畳と一畳ばかしの板の間、これが台所で、それにくっついて小さい土間に甕があるわけであります。・・・」と語っている。復元された建物はお大師さんは除かれ書簡などの展示空間として活用されている。また放哉は、庵前に松の大木が植わっていると語っている。
  庵を出て地続きの誓願塔を望む見晴らしのよいところに、放哉の五輪塔墓がある。放哉の没後、「層雲」の同人であった山頭火が2度、小豆島を訪れて放哉の墓参りをしている。
    入れ物がない両手でうける
    朝がきれいで鈴を振るお遍路さん
    掃く程もない朝朝の松の葉ばかり  <以上、放哉> 
    その松の木のゆう風ふきだした   <山頭火>

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