宗像市の神湊(こうのみなと)から東に向かって海岸線をゆくと、釣川という川があり玄界灘に注いでいる。この川の河口から4キロほど遡ると宗像大社がある。釣川を越えると、河口の東に約5キロメートルにわたって美しい松林がある。松林は、約400年前の藩政期に防風林として植林されたものである。樹齢300年ほどにもなる巨木がこの松原の歴史を語っている。
白砂の浜に立つと、青松の松原は緩やかな弧線を描き鐘崎辺りにまで伸びている。初夏の浜辺に人気はなく、砂を踏む己の足音が潮騒とたわむれるのみ。
鉛色の冬の海。玄界灘の波浪が容赦なく松原を襲う。昭和7年1月8日、神湊からさつき松原が連なる海岸沿いを歩き芦屋まで托鉢に出かけた山頭火を襲った霰。最も日本的な風景とさつき松原を絶賛した山頭火も、霰からやがて雪混じりの天候に急変したのか、「雪としぶきをまともにうけて歩く行脚」に閉口している。
今日、玄海灘の海は青く澄み、岩礁に絡まるようにゆらりゆらりとなびく海草に小魚が見え隠れしている。かなたに地ノ島が浮び、大島が春霞のなかにまどろんでいる。七重八重、打ち寄せる波が潮騒を生み、松林に消える。初夏を告げる玄海灘の絶唱であろう。−平成17年5月− |