遠賀川の河口は岡の湊(岡水門)といわれたところ。今の芦屋町の「岡湊神社」の社名に名残がある。深く入りこんだ河口の入江に芦屋橋が架かり、その向こうは怖い響灘。日方(東風)が吹き波立ってきたのでそろそろ那の津(博多)へ船出しようかと、日方は旅人に身支度を知らせる風だった。万葉人の鼓動が聞こえてくるようである。
岡湊は海路の要衝であったばかりか陸路、垂水峠越えで大宰府に向かう要の街であった。港は、古代から中世、近世に至るまで、流域の物流を担う人々や旅人で賑わう商都であったろう。
山頭火が芦屋の町を行乞したのは昭和7年正月のことだった。隣船寺の田代駿和尚を尋ねて神湊に入った山頭火は、正月8日、海岸の松原沿いを歩いて芦屋を行乞。時化もようの日には芦屋の町も美しい岡垣の町も民家の戸は閉ざされ、米や銭を喜捨する者もなく寂しい行乞であったことだろう。俄かに降り始めた霰が鉄鉢を叩き、金属音をたてる。それでも山頭火は開かぬ戸の前に立ち心経を唱えていたのであろう。この句などはもはや文芸の域を越えている。−平成18年1月- |