家島−姫路市− |
姫路市の南方に家島群島が浮ぶ。群島は東西20数キロ、30の大小さまざまの島からなる。男鹿島(たんがしま)、家島本島、坊勢島(ぼうぜしま)、西島が群島の核をなし、天然の良港が散在する。島々は漁業、石材業で潤う。釣りや海水浴などレジャーで訪れる人も多いところである。 |
群島中、家島本島は古来、瀬戸内海交通の要路にある。海岸線が単調な播磨沿岸地にあって、本島の真浦、宮ノ浦は風待ち、潮待ちの港として栄えた港だ。人口は約5000人。群島の中核をなす。姫路港まで高速船で約25分。定期船で家島に向かうと、本島の左手に天神鼻がみえ、先端部に家島神社が鎮座し石燈籠と鳥居が目に入る。
家島神社は延喜式内社。筑紫に或いは大陸に向かう船人が幣を手向けた神社の境内はウバメガシやクロガネモチなど温帯林に覆われ、ヒトツバが本殿周りの林床を埋めている。遣唐使船も遣新羅使船も明石の大門を越え、家島を往き中国大陸や新羅(朝鮮半島)に向かった。大門を越え行方に不安を募らせる大海原に浮ぶ家島は、まさに彼らの「家」を思わせたのである。天平八(736)年、難波津から船出した遣新羅使たち。明石の大門(おおと)をこえ、大きく口を開いた播磨灘に行方の不安を募らせたことであろう。家島はたちまち遣新羅使人に望郷の思いを吐き出させるのである。 |
家島は 名にこそありけれ 海原を 吾が恋ひ来つる
妹もあらなくに (巻15 3718 遣新羅使人) |
家島に神武天皇の東征にまつわる名称の由来が伝えられている。家島はその名のとおり風よけ、潮待ちの天然の良港をなし、船人の家なのだ。季節風の防御に優れ、深くくびれた港はいつも波静かである。明石大橋が完成し、いま大門に橋影を映す海景に接するとき、もはや私たちは天平の昔を思うことはできないが、明石の大門はいたく繊細な都人が最初に味わう難関であった。海峡は狭く、潮の流れは早い。待ち受ける播磨灘。しかしまた、旅立ちの不安を募らせた大門も長い船旅を終えるとその先に待ち望んだ都がみえる大門であった。人麿は詠う。 |
天離る 夷の長道ゆ 恋ひ来れば 明石の門より 大和島
見ゆ (巻3 255 柿本人麿) |
家島神社の境内に立つと、ウバメガシの樹林の間から播磨灘の大海がのぞき、行方の不安に幣を捧げ或いは安堵して大門に向かう遣新羅使船が見えるようである。
家島は太陽が降り注ぐ島。子らの歓声と明るい笑顔に満ちている。のびのびとした自然がある。 |
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家島神社 |
播磨灘(家島神社
境内から) |
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