|
福岡 |
引津の泊−志摩町− |
草枕旅を苦しみ恋ひ居れば加也の山辺にさ男鹿鳴くも (万葉集巻15 3674大判官) |
沖つ浪高く立つ日にあへりきと都の人は聞きてけむかも (万葉集巻15 3675大判官) |
|
糸島半島(引津湾) |
|
綿積神社近くから加也山をのぞむ |
糸島半島の西部に加也山(標高365b、写真左)がある。筑前富士と賞せられる麗峰である。山の西部に引津湾が展開し、岐志、船越の浦が美しい弧線を描く。船越の南に加布里港が控え、港の背後は前原。魏志倭人伝が伝える伊都国である。支石墓、甕棺墓など弥生人の生活痕を伝えるところ。日本最古の戸籍を伝える嶋郡川辺里は、加也山の山麓に展開した里だった。
糸島半島の東部の韓亭(唐泊)、西部に開けた引津亭は、昔の大陸航路の泊地。玄界灘の波浪を避け、風待ちしたみなと。遣新羅使が引津亭で詠った歌が万葉集に7首ある。荒天のため前泊地、唐泊で3泊し、引津亭ではさらに幾泊かの停泊を余儀なくされたのであろう。玄界灘の荒波は新羅使たちの不安を誘い、波風のない引津亭に避難して鹿の鳴声を聞くといっそう妻恋の思いも募ったことであろう。
引津亭について、引津湾の岐志浦、船越浦或いは加布里浦など諸説あるが、船越辺りが湾奥の静かな風待ちの適所のようにも思われる。船越の綿積神社近くに万葉歌碑が立っている。−平成17年8月−
|
|