遣新羅使 詠歌(万葉集) |
からとまり能許の浦波立たぬ日はあれども家に恋ひぬ日はなし |
<巻15 3670> |
風吹けば沖つ白波かしこみと許のとまりにあまた夜ぞねる |
<巻15 3673> |
玄界灘に突き出た糸島半島の東海岸に唐泊漁港(写真上)がある。港は湾曲した博多湾の西のはずれ(出口)に位置し、港は南向きに口を開いている。東方の海中に能古島(のこのしま)が浮かん
でいる。
唐泊は、古くは能許(のこ)の亭(とまり)或いは能許の浦と呼ばれたところ。博多から大陸に向かう遣新羅使などの風待ちの港として整備された港である。遣新羅使の詠歌六首が万葉集に載る。
‘からとまり能許の浦波立たぬ日はあれども家に恋ひぬ日はなし’の歌などは、唐泊の波止に立つと、前途の不安から妻や子の思い出が遠い昔のことのように思われ身震いする若い遣新羅使の顔が思い浮び、ひょっとしてこの作者は壱岐で落命した雪連宅満ではなかったと思ったりもする。佐々木信綱は「改訂万葉読本」(昭和17年)で、古今集の‘駿河なる甲子の浦波立たぬ日はあれども君を恋ひぬ日はなし’の原型をなしたものと思う、と述べている。
唐泊の街は日当たりのよい南斜面に住宅が密集し、集落内を路地が巡っている。街の一番高いところに立つ寺院は唐泊山東林禅寺(写真左下)。栄西が2度目の渡宋(西暦1187年)後に開山した寺と伝えられ、境内に座禅石や栄西禅師像があり、三中の歌碑(写真右)が立っている。
唐泊は、江戸時代には隣の宮浦とともに筑前五ヶ浦のひつに数えられ、廻船で栄えた港町だった。宮浦の三所神社には、当時の廻船業者が奉納した絵馬や三十六歌仙(写真左上)の奉額などが奉納され拝殿に掛かっている。板絵著色武者絵馬(写真左上)は葛飾北斎の弟子柳々居辰斎の作。絵は、加藤清正の虎退治を画題としたもの。絵の具も色鮮やかに残っている。
唐泊、宮浦の集落を歩くと、小さな稲荷神社を祀る家がずいぶんある。「家を新築したときに栄えるようにとおまつりします。」と、町の人。−平成17年8月− |