百船の泊る対馬の浅茅山 時雨の雨にもみたいにけり
<巻15 3697 遣新羅使人> |
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大船越 |
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万関瀬戸(万関橋) |
対馬は南北約100キロメートルの細長い島。中央部がくびれ、おぼれ谷を成し、ちぎれ小島が浮かぶ対馬特有の景観をみせる。
対馬にはもともと島を横断する東西方向の海峡がなく陸続きの島だった。しかし、東水道は波荒く難儀を伴い、対馬東岸の厳原から西水道に入るには豆酘岬を迂回しなければならなかった。したがって、船ごと陸を越え対馬を横断することもあったのである。
大船越、小船越と名のつく在所は昔、船が陸を越え浅茅湾に入った名残りのあるところ。
遣唐使や遣新羅使もそれらの船越を越え、浅茅湾に入ったのであろう。
1671年(寛文12年)、対馬藩主・宗義真(第21代藩主)によって大船越の運河(写真右上)が掘り切られ通行の便が開かれた。瀬戸に立つと、漁船が海峡を滑っている。
大船越の少し北に万関瀬戸(写真右下)がある。明治33(1900)年に海軍が掘削した運河だ。対馬沖・日本海海戦において水雷艇が浅茅湾の竹敷にあった軍港から東水道にぬけるための運河であった。開削当時の運河は長さ300メートル、幅22メートル、水深3メートル。運河に高さ32メートル、長さ100メートルの万関橋が架かる。
小船越というところに神社(写真左下)が鎮座する。神社の神殿は驚くほど小さく、簡素。神社は、丘を越え浅茅湾まで曳かれ、大陸に向かう倭国船の守護神であろう。 |
アマテル神社は船と航海の安全を司る神。後年、ヤマト王権を樹立した人々は、大陸に文化を求め、小船越を越えた記憶を持つ人々だったのだろう。対馬縁の神々が記紀に溢れている。対馬の延喜式内社は20社をこえる。
小船越はまた、日本最古の寺院と伝えられる梅林寺があるところ。寺は、欽明天皇の頃、百済から仏像、経典が日本に伝えられるとき百済の使節がここに一宇を建立して仏像を仮安置した仏跡と伝えられる。第五代目対馬藩主宗経茂の菩提寺で、墓がある。−平成18年3月− |
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