例年、7月21、22日の両日は難波神社の氷室祭。拝殿の左右に据えられた大氷塊(写真左)にちなんでそのよう呼ばれるらしく、あけきらない蒸し暑い梅雨空に冴えた光を放つ。
午後4時30分、氷問屋から氷塊が神前に献納されると、雲の狭間から薄日が漏れ、急に夏空が戻るのも氷室の氷ならず、カチワリのお下がりを待つ現代の難波っ子の意を察した神様の計らいであろう。
昔はこの神社で盛大な渡御行列が行われていた。蒲団太鼓や神輿、菖蒲台、獅子舞がでて、氏地から選出された八乙女は祭りの花だった。大氷塊も渡御列に加わった。
渡御列に菖蒲台が加わる他例はなく特異なものだった。難波神社はもともと平野郷に鎮座し、正親町天皇の代に当地に遷座した経緯がある。そのとき、堀江の河岸から毎年、5月5日の朝、花菖蒲が献じられたという故事によるものらしかった。蒲団太鼓は平野郷の土地柄を継承したものであろうか。平野郷の杭全(くまた)神社の夏祭りにでる蒲団太鼓は今なお今昔を感じさせない立派なものである。難波神社のそれは、いま僅かに子供蒲団太鼓に名残をとどめるのみである。
戦後、御堂筋周辺の整備よって難波神社の氏地の状況も大きな変貌を遂げた。しかし、大都会の真ん中で祭りは健在だ。仁徳天皇の氷室の故事から生じた氷の奉献も昭和5年から廃ることなく続いている。神輿も蒲団太鼓も保存されている。周辺の交通事情から渡御はなくなり簡素になりはしたが、伝統行事として祭りはしっかりと地域に受継がれているのである。境内で太鼓の競演が続いている。天候が回復し、太鼓の音もよし。明日の本宮祭には倭太鼓飛龍の演奏が予定されている。近くに坐摩神社がある。夏祭り期間中、せともの祭で賑わうところである。
大阪の夏祭りは、勝鬘院の愛染祭に始まって住吉大社の南祭で幕引きとなる。市内の各社は祭の日取りを軽々には変えないらしくまた、山車や行列の舁き手や曳き手、その他行列の参加者にアルバイトを雇うことを極端に嫌うところがあって、氏地の人々によって古色が継承されている。そのため、山車や行列など一旦、廃絶になるとアルバイトを雇って復興などということはまずない。合理的な気風の強い大阪人にはまったく稀有な伝統と言うべきであろう。このような祭の伝統は食生活にも生きていて、大阪人は夏祭りのご馳走は、冷やしそうめんにハモの焼物、タコとキュウリの酢のものと相場が決まっている。6月の下旬ころから関西圏のハモやタコの価格が急騰するもの大阪の夏祭現象の一つであろう。−平成19年7月− |