京都
天王の板碑−京田辺市天王−
 生駒山地の麓に普賢寺大御堂としてしられた観音寺(真言宗)がある。本尊十一面観音立像は天平仏。近くに普賢寺川(ふげんじがわ)が流れていて、そこは旧普賢寺村のいわば入り口に当たるところ。流域の普賢寺、天王、水取、高船など生駒山地に点在する地区を普賢寺谷と総称したりもする。
 天王は普賢寺谷でも一番高所にある集落である。大阪府と奈良県の県境辺りに立地し、高い石垣を積み上げた住家は天辺の峯近くにまで軒を連ね、美しい集落をなしている。頂上付近に朱智神社が鎮座する。普賢寺谷の村々の鎮守神として崇められ、古代の延喜式内社である。天王は歴史のある古いところのようである。
 天王集落を通る幹道沿いに天王バス停があり、付近の少し高みに板碑群がある。板碑は都合3基ある。いずれも1石に数段の区画を設け、地蔵や如来のレリーフが施してある(写真上)。向かって左端の板碑が最も標準的な板碑の形式を備え、頂部を山形に作り二条線を彫り、切り込みを入れ5分した空間に地蔵菩薩など総数16体の仏を刻む。仏の名号を種子(しゅじ)で表わさずそのレリーフを刻むところにこの地方の板碑の特色がある。中央の板碑は頂部を緩やかな山形に整え二条線は見られない。仏像の配列は左端のものと同じであるが、天正18(1590)年の記銘と像の横に女性の名が刻まれている。肉眼で読みとることはできないが、女性らが講を組み逆修の趣旨から生前供養を行ったあかしであろう。和歌山県九度山の慈尊院に女性ばかりの名を刻んだ名号板碑がある。天王の板碑も高野山詣ができなかった女性たちがささやかな逆修の願をこの碑に託したものかもしれない。この2基の板碑の造立年代を比較すると、その形状などから左端の板碑の方が古いもののように思われる。
 3基中、一番右端の板碑には1石7段に33観音が刻まれている。頂部、額部が欠け、記銘も見当たらないが3基の中ではこの板碑が最も大きい。種子、願文はみあたらないが、女性たちの逆修への切なる思いがひしひしと伝わってくるようである。
 集落内の道路端で「猿田彦尊」と刻まれた庚申塔を見かけたが、府下、とりわけ京都南部地方ではあまり目にすることのない文字塔である。−平成22年10月−

 参考
多武峰の板碑
(奈良)
板碑のこと(奈良) 元興寺の甍(奈良)
板碑の風景(四国・徳島) 天王の板碑(京都) 浄土寺(広島・尾道)
建武の板碑(福岡・直方) 老樟と板碑(福岡・稲築) 福岡の板碑
石柱本字曼荼羅碑
(福岡・植木)
国東塔と板碑(大分)  板碑のこと