九州絶佳選
大分
国東塔と板碑−国東半島−
 九州には、板碑、宝塔、庚申塔、恵比寿神など平安末期から江戸期にかけ造られた多くの石造物が存在する。板碑や宝塔、庚申塔、鳥居など随分地方色があり、かつ味わいのあるものが多い。
 庚申塔は、北部九州では杷木町の普門院に刻像塔があるが、九州のそれは大半文字塔でありかつ神道系の猿田彦の塔が大部分である。福岡県下の文字塔は、博多を核にして前原、太宰府などで分布密度が濃いように思う。
 恵比須神塔は、長崎街道の旧宿場などでよく見かけるが特に佐賀県下に多い。大半、刻像塔であるが福岡県下の太宰府や山家あたりに線刻のものがかなりある。薬研彫りの実に美しいものが多い。
 
ゆずりは両面板碑
釜ヶ迫国東塔
板碑は、九州においては緑色片岩(青石)を部材とするものはほとんどなく、玄武岩乃至凝灰岩などである。関東地方に多い青石のスマートな板碑は実に美しいものであるが、九州ではほとんど目にすることはない。様式的には徳島県が板碑の混在地域(徳島県下の板碑)といえるだろう。もっとも福岡県下では、阿波様式と見られる板碑が多々良川や御笠川沿いのお堂や道端で見かけることがあるがまれである。
 国東半島を歩くと寺の境内や道路端で板碑をよく見かけるが、阿波、関東の板碑に鼎立する特異な様式である。板碑の頭部は丸く前に突き出ていて随分大きなものもあり、野趣味があって国東のイメージによくあっている。(写真左上)
 国東塔は文句なく美しい。一般の宝塔にはみられない相輪に火炎宝珠がある、塔身の蓮座に請け花・反花がある、基壇が二重或いは三重になっている等々の特徴があり、1916年(大正7年)に天野俊一博士により国東塔と命名された。造立の趣旨は、武門の繁栄祈願など板碑と似ており、南北朝のころに盛んに造立されるようになる。この傾向も板碑の変遷とよく似たところがある。谷あいの里山や寺院の境内にさりげなく国東塔が立っている(写真右)。いかめしさがなくこちらも私たちが抱く国東のたおやかな風土のイメージによくあっている。
富貴寺国東塔 羅漢寺国東塔

 参考:
多武峰の板碑(奈良) 板碑のこと(奈良) 元興寺の甍(奈良)
板碑の風景(四国・徳島) 浄土寺(広島・尾道) 建武の板碑(福岡・直方)
老樟と板碑(福岡・稲築) 福岡の板碑 石柱本字曼荼羅碑
(福岡・植木)
国東塔と板碑(大分)  板碑のこと