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佐賀 |
長崎往還(八戸町辺りの風景)-佐賀市昭栄町等- |
北九州の門司から長崎まで、江戸時代の唯一の開港・長崎に通ずる街道は、商人や向学の士が歩を刻み、イネ
を連れたシーボルトが或いはケッペルも歩いた道。街道はまた、情報が行交うところ。繁栄の証であるとともにいつも攻撃の標的を窺う人々が行交う道だった。
佐賀城下の北側を長崎往還が通っていた。佐賀市内の八戸町、高瀬町のあたりは今なお往時の街道のよすがを残すところ。街道から少しずらしノコギリの刃のようなかたちになって白壁の商家が建ち並ぶ。道すじに道標が立ち、地蔵尊や大神宮・猿田彦大神の道祖神が祭られ、数十の恵比寿神が商家の店先や路傍に立っている。大きな屋根看板のかかった白壁の老舗は久保薬局(写真下)。佐賀城下で最も古い生薬屋。屋根看板に、「醫局監製 牛黄青心圓」とある。藩の監視下で製薬は行われていたのである。樹齢350年の五葉松が老舗の歴史を語る。
街道筋の龍雲寺に「葉隠」の祖述者・山本常朝が眠る。傍らに、葉隠を全国に紹介した中村郁一が建てた「山本常朝先生葉隠祖述記念之碑」がある。
八戸、高瀬辺りの長崎往還は、古きよき日の佐賀の顔が見えるところである。−平成17年10月- |
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