京都
由良川の橋梁−京丹波町、綾部・福知山・舞鶴等各市−

綾部大橋(綾部市並松-味方)
 橋は別れや出会いの場として私たちの脳裏に深く刻まれている。忘れがたい記憶は橋と共存する場合が多い。銘々のバリアや国境の象徴ともなる橋。小川に架かる丸木橋や石橋などを渡り暮らした故郷の記憶は、私たちの生活史を彩る宝石であろう。
流れ橋(木津川。八幡市)
瀬戸大橋(吊橋。瀬戸内海)
鳴門大橋(吊橋。鳴門海峡)
 川は少し大きくなると丸木橋や木橋というわけにはいかない。洪水の脅威がいつも同居する。しかし、流されても流されても現役であり続ける木橋はもう、木津川の流れ橋(八幡市。写真右)くらいのものだろう。文献に記された日本最古の橋は猪甘津の橋。石造呉橋かと思われるが、今はそれらしきものの橋桁が大阪のコーリアタウン近くに存在し、顕彰されている。橋はまた文化の象徴でもある。宇治橋、長崎のめがね橋など歴史を映して美しい。
 日本の木橋の多くは、昭和30年代半ばの高度成長期のはしりのころからコンクリート橋や鉄橋へと徐々に架け替えが行われた。かつ、その構造も単純な桁(けた)橋から近年では鋼製の連続桁橋が主流をなすようになった。人の情緒や自然、環境との融合等にも配意して、アーチ橋、吊橋など様々の形状の橋が工夫され、架けられるようになった。これもまた、我が国が橋文化についても先進国の仲間入りを果たした証であろう。
 瀬戸内海に本州・四国間の幾筋もの橋が架かり、島嶼間の交通も船便から橋交通へと変貌してきた。それら瀬戸内海に架かる橋や東京湾のアクアライン等の建設により、我が国の長大橋の架橋技術は世界一と評されるようになって久しい。
 北近畿に由良川という、延長146キロメートルの川がある。丹波高原から流れ出るこの川は、深い山間を縫うように流れ河口の由良・神崎で日本海にとけ入る。上流域に「大野ダム」(治水、利水)があり、中流域に「立木ダム」(発電)がある。流域の河川段丘はよくひらけ、先の大戦前には、河川流域は養蚕王国をなす純農村地帯だった。
 明治末のころまで、由良川河口部の由良・神崎から有路、福知山を経て高津(綾部市)辺りまで高瀬舟によって物資が運ばれ、住民の対岸への渡渉は渡し舟だった。道路交通の発達や鉄道の敷設により高瀬舟は絶え、木橋がかかるようになったが、今度は洪水との闘いが続き、毎年のように架け替えが行われる木橋も多く存在した。
 綾部大橋(曲弦ワーレントランス7連のアーチ橋。写真上)など一部の橋を除き、由良川に恒久橋がかかりはじめたのは昭
決壊之地碑(由良川。福知山市)
和28年の台風18号の襲来以後であろう。幸い綾部大橋は累次の洪水にもよく耐え、今も供用に付されている。綾部大橋北岸(右岸)の紫水ガ丘公園に、同橋の親柱が顕彰されているのでご覧になるとよいだろう。 
 18号台風によって綾部・福知山で堤防が決壊し、沿川都市は壊滅的打撃を受けた。福知山市内の由良川堤防上に決壊之地記念碑が建っている(写真上)。この大洪水を契機にして土砂積み護岸からコンクリート護岸へと堤防の再整備が行われ、あわせてコンクリート橋や鉄橋へと橋梁の恒久化が推進された。
 その後、橋の老朽化や交通事情の変化等により順次、架け替えが行われている。近時、大川橋(綾部大橋と同型の曲弦ワーレントランス型のアーチ橋)の連続桁橋への架け替えが行われ話題になった。
 時代の推移とともに、橋の形状等もまた橋梁工学の進歩や経費、交通量等状況に応じ漸次、変化し選択幅が拡大した。由良川においても吊橋やアーチ橋から鋼製桁橋へと架け替えられる例が多いといえよう。
 先に記した大川橋のように架け替えにともなって橋の構造も変わる橋がある一方、綾部大橋のように老朽化に耐え続け、今日では文化的価値の高い橋も出現するようになった。
 綾部大橋は京都府下における昭和初期の代表的な鉄橋であり、また往時の蚕都の繁栄を偲ばせる民俗資料的価値も含み、貴重である。綾部大橋の下流に綾部井関という重要な灌漑施設が存在することや上流に新綾部大橋(斜張橋。写真下)か架設され、国道27号線と同9号線とのアクセスが容易になったことが、綾部大橋の保存、存続につながったのだろう。新綾部大橋の斜長橋は大野ダム湖の斜長橋とともに由良川の妖精であろう。大変美しいものだ。
 丹波人は、綾部大橋辺りの河畔(並松)の桜や橋上から見物する花火(水無月祭)の印象が脳裏に深く刻まれ、それがまた並松の水辺の景観と相俟って綾部大橋にたまらない郷愁を感じるという。
 由良川下流における岡田下橋(連続トラス橋。写真下)もまた、丹後人の脳裏に刻まれた追憶の橋であるに違いない。この辺りは永く渡し舟に頼っていたところ。昭和28年の大水害を機会に恒久橋が架設された。トラス橋が次第に姿を消す今日、この橋は今も由良川の川面に橋容をたたえて美しい。
 また、自動車専用道の整備によって長大な道路橋が由良川にも出現した。舞鶴由良川大橋(アーチ橋。写真下)がそれだ。丹後の天空に描くアーチが美しい。岡田下橋とともに由良川架橋の絶唱であろう。
 由良川の上流域の和知の上升田橋(ランガー橋。写真下)や和知第2大橋、由良川中流域の音無瀬橋(三角ランガ―橋)などのアーチ橋や、由良川下流域の八雲橋(吊橋。写真下)なども印象に残る橋。音無瀬橋は商都・福知山によく似合う。八雲橋は由良川の最下流の橋。遠目にも美しく、紅白に塗装された愛らしい橋である。
三河橋(福知山市大江町三河)
三河橋(福知山市大江町三河)
在田橋(福知山市大江町在田)
在田橋(福知山市大江町在田)
 このほか由良川中下流域に三河橋(写真左)や在田橋(写真左)などコンクリート桁橋が健在で実用に供されている。両橋は付近の渡船場が集約される過程で生まれた橋。幅4メートルにも満たないささやかな橋。地域の生活道路として忘れられない橋である。器用に通り抜ける車の後ろ姿が弾んでいる。
 鉄道橋もJRの下由良川橋梁(綾部市)や河口部に架かる北近畿鉄道の由良川橋梁(舞鶴市)がよく知られている(写真下)。
 由良川は古来、治水の難しい川。福知山盆地から由良の戸に通づる河口部までの傾斜度がゆるく、しばしば洪水を引き起こし流域住民を苦しめた。円山古墳の被葬者はそうした治水に功績を上げた首長であったに違いない。眼下の氾濫源の統治がいかに困難を極めたか一望して理解できるであろう。
 先の大戦後、大野ダムの建設や流域の開発に伴う適正流量の減少によって河川汚濁等が進み、シロサケやアユの遡上もめっきり減少したが、この気難しく、美しい河川景観や自然とのふれあいを求め春夏秋冬、川べりを探勝する人もまた多い。由良川は橋が多くその形状も多様。差し詰め由良川は橋の博物館といえるだろう。いずれも河川景観を壊さず美しい橋が丹波・丹後にある。−平成23年− 
大野ダム湖に架かる斜長橋
大野ダム湖に架かる斜長橋
上升田橋(ランガー橋。船井郡京丹波町升谷)
上升田橋(ランガー橋。船井郡京丹波町升谷)
新綾部大橋(斜張橋。綾部市並松-味方)
新綾部大橋(斜張橋。綾部市並松-味方)
岡田下橋(トラス橋。舞鶴市字志高)
岡田下橋(トラス橋。舞鶴市字志高)
由良川大橋(アーチ橋。舞鶴市字桑飼上)
由良川大橋(アーチ橋。舞鶴市字桑飼上)

八雲橋(吊橋。舞鶴市字中山)
下由良川橋梁 由良川橋梁
下由良川橋梁
(JR舞鶴線)
綾部市川糸−味方
由良川橋梁
(北近畿鉄道)
舞鶴市神崎−宮津市由良
 由良川の氾濫

由良川の名勝
 由良川の名勝を河口部から遡ってみると由良の戸、安寿と厨子王の塩汲み浜伝承地、山椒大夫屋敷跡、桑飼下縄文遺跡、元伊勢皇太神社、福知山城跡、私市円山古墳、大本教綾部本部弥勒殿、山家城跡、和知人形浄瑠璃、大野ダム、美山の茅葺集落等々の上古から現代に至るまで連綿として築かれた数々の由良川文化の跡を辿ることができる。
 由良川は、また深い峡谷にV字谷を刻む。段丘上の険しい斜面で農林業が営まれてきた歴史は、四国・吉野川の流域村落と相似通ったところがある。
 和知から山家に至る渓谷上に、その典型的な村落が点在し、丹波の天空に映えて美しい。
 山家の由良川渓谷に立岩という名勝(写真左)がある。昔は文人墨客が杖を曳き、シーズンになると釣り客で賑わったところだ。皇室へ献上され、かの井伏鱒二が釣り糸をたれた山家のアユこそこの立岩のアユであったに違いない。
 しかし深い峡谷の斜面はいつの間には木竹が茂り、次第に人々の入川を拒むようになったようだ。国道27号線脇の空き地が、立岩の唯一の展望所だった。近年、立岩(由良川左岸)への散策路が拓かれ、JR山家駅から徒歩30分ほどで立岩見物が可能になった。
 4月某日、立山を訪れる。高さ30メートル周囲50メートルの立山は実に怏々しいものだ。立岩から由良川にせり出し、甌穴が刻まれたた巨岩(写真左・下)もまた美しい。立岩の東側一体はヤブツバキの純林が広がリ、満開。由良川流域では珍しい植生をなしている。立岩の西側の岩陰でひっそりと咲くミヤマカタバミが実に可愛らしい。大事にしたい由良川の名勝である。
 夏季には立岩下流で観光やな漁が行なわれる。丹波の仙境に遊ぶ日があっても良いだろう。−平成26年4月−