京都
綾部の大桜(樹齢の疑問)−綾部市並松町−
   綾部第一グラウンド
由良川河原から舞鶴線を望む
 満開の桜が樹幹を広げヒヨドリが群れ、ツバメが大空に舞う。樹下にタンポポ、キンポウゲが咲き、枯れたヨシ原に菜の花が爛漫の春を告げている。
 桜並木の向こうからソフトボールに興じる歓声が聞こえ、ディーゼル機関車が鉄橋に消えてゆく。
 くだんの桜は、由良川の綾部井堰の堰堤に植えられたもの。9本ばかりのささやかな桜並木。訪れた日(4月7日)、満開だった。
 桜の下で大きなリュックを背負い、両手を広げその母に向かってヨチヨチ歩きの児は花見デビューであろう。入れ替わりに、三脚を担いでやってきてひたすらシャッターを切り続けるカメラマン。それぞれの花見をして、満ち足りた時間が過ぎてゆく。八幡の背割り桜とはまた違った桜があっても良いだろう。
 桜堤に立って上流を眺めると、鋼製桁橋(府道8号線・綾部福知山線)、綾部大橋(アーチ橋)、新綾部大橋(斜張橋)が架かり、振り返って下流を眺めると鉄道橋(JR舞鶴線)が架かる。そこは上下流わずか1.3キロメートル。川づらに4つの橋が架かる。満開の桜は橋銀座の癒しであろう。 
 並木は2群に別れ、上流に2本、少し間隔を置いて下流に7本、規則正しく並びそれは植栽された桜。小枝を引き寄せ観察するとソメイヨシノ。
 並木桜の幹回りは大小さまざま。日当たりや植栽間隔の微妙な違い、植え替え等々の生育環境の違いによるものか。
 9本の桜のうち最上流(東端)の桜の根回りは4,1bある。幹から分枝した枝が幹に合着したか、もともと別々の木が癒着したものか見分けずらいが、根本は一本の木。根回りの長さでは山家大橋袂(南橋詰。橋は昭和31年築造)のそれとどっこいどっこい。堰堤桜がやや長くこの地方のソメイヨシノ中の筆頭クラスと思われる。
 巻き尺で9本すべての桜を計測すると、幹回りは4.1〜1.6bとさまざま。根元或いはその直近から分枝する木が多い。洪水で濁水を被ったり被災した堰堤の改修によって堤嵩が上がった結果ではないかと思う。幹回りが極端に細いものは植え替えられたか、その下部に幹が埋まっている可能性も否定できない。平均的な2本を選んで樹齢を測定した。
区分 幹回り
p
半径
p
樹齢
A 338 51.3 102.6
B 339 51.4 102.8
※幹回り=地上140p又は分枝の下部で測定
※半径=幹回り(長さ)÷π/2
  上記から樹皮の厚み(2.5p)を差引いた
※年間成長速度=年輪で0.5pと仮定した
※樹齢=半径÷年間成長速度








  結果は100年桜。ソメイヨシノの寿命は通常60〜80年。ソメイヨシノは挿し木や接ぎ木で増やしたクローン。100年余、倒れも枯れもせず今なお樹勢は盛ん。ソメイヨシノの成長速度は驚くほど早い。成長速度を0.5pから0.7pに置き直し、苗木の養成期間3年と仮定するとを樹齢は76年になる。
 綾部用水は昭和28(1953)年の洪水によって被災。翌年から壊改良工事が始まり、昭和40(1965)年)に竣工。記念樹として植樹されたと仮定すると樹齢は60年ほどになる。実測の推定樹齢との差が十数年。かなりの開きが生じた。
 そうすると、くだんの堰堤桜は、@完工年の昭和40年より前かつ相当、養成期間の長い木が植樹されたか、A戦後間もない時期に堰堤の修築が行われた際、植樹されたとも考えられるがどうだか(昭和28(1953)年以前には3年に1度の頻度で洪水が発生している)。
 因みに昭和28年の大洪水の前年(昭和27年)、戦後間もなく始まった綾部用水改修事業が完工している。その際くだんのソメイヨシノが植樹されたと仮定すると樹齢は72年。想定の範囲内に収まるのだが、どうだか。
 戦後から高度紙長期にかけ大きな公共工事の記念樹としてソメイヨシノはもてはやされた。成長が早く花は美しく、記念樹として格好の樹木。しかし植物は生育環境によって個体間の成長速度が異なる。さらに植樹記録がなければ一層、樹齢を考える楽しみが膨らむのもまた事実である。−令和6年4月7日−
堤防の事
 桜並木は、由良川の綾部井堰から取水する「綾部用水」(写真右)の堰堤上にある。用水を中にして堰堤の対岸(由良川左岸)は高く頑丈な新堤防。昭和28(1953)年の水害を受け、築堤された。用水路は200bほど下って新堤防をくぐりぬけ堤内地(市街地側)へ抜け出ている。
 一方、堰堤は旧堤防に連なって下流に延びる。新新堤防と旧堤防の間に広大な高水敷がうまれ、取水口から下流に6キロb余り続く。旧堤防は小河川の流入点などでとぎれとぎれに小貝(綾部市)辺りまで続き、いわば「霞堤(かすみてい)」のようになっている。その手法の採用によって、高水敷が急激な増水の貯水(遊水)機能や小河川からの鉄砲水を和らげる機能を持たせ水害はもとより左岸の新堤や右岸堤の破堤、損傷をも防いでいるのだろう。昭和28(1953)年の大水害(水位7b余)から生まれた着想と思われるが知恵者はいるものだ。以来、堤防は幾たびかの洪水にあい、水位7bを超える洪水にも耐え続けている。
 私たちは河川工学の粋を尽くした先人の知恵に感謝しなければならない。高水敷には未だ私有地(水田、畑、竹林等)も多く流水を穏やかに下流へと導く。農業者の水害防止への貢献も少なくない。 −令和6年4月7日−