九州絶佳選
熊本
天草の祇園橋―本渡市―

天草の下島に本渡市がある。都邑をなし天草の中心地である。
 市内を町山田川が流れ、その中流に祇園橋という石橋が架かっている。1832年(天保3年)の築造で長さは約29メートル、45脚の石柱によって支えられている。石造桁橋では日本最大の橋である。橋の袂を通る道をひとつ隔てて祇園神社が建ち、橋名は祇園神社にちなんだもの。
 実はこの橋、1637年(寛永14年)におこった天草の乱で、天草切支丹が流した血の記憶を呼びおこさせる橋である。
 切支丹への圧政と島原・天草地方を襲った飢饉を発端として島原の口の津辺りで農漁民の一揆がおこり、天草の大野島に飛び火した。大野島の一揆勢は天草四郎時貞を総大将にして上島、下島へと西方に進み、本渡の町山田川べりに至り、宗徒軍と富岡城番代・三宅藤兵衛が率いる唐津軍とが激突した。この祇園橋辺りが激戦地となり、河原に屍の山が出来たと伝えられる。毎年10月、殉教祭が行われている。
 祇園神社の裏手に細道一つへだててお堂があり、1530年(享保3年)記名の「尾越の板碑」がある。天草氏が志岐氏から本戸を奪還した記念供養に、洞慶寺の桑牧が献じたものと伝えられる。
 町山田川左岸にそって遡ると小高い丘がある。天草氏の本戸城の跡だ。天草は、熱心な切支丹であった天草氏の加護を得て教会が建ち並ぶところだった。本戸城跡はいま殉教公園になっていて、天草の乱の犠牲者を慰霊する殉教千人塚や1583年(天正11年)、天草で生涯を閉じたルイス・アルメイダ記念碑、1614年(慶長19年)、天草で最初の殉教者となったアダム荒川の碑などが建っている。公園は眼下に本渡の市街が一望できるところにある。
 殉教公園の上方に天草切支丹館があり、天草四郎陣中旗など天草に残る切支丹関係資料の展示がある。−平成18年3月−

祇園橋
千人塚(殉教公園) ルイス・アルメイダ記念碑
(殉教公園)