大阪
ああ 中之島(橋の風景)−大阪市中之島−
 あらがねのつちもてしライオンは生命あるごとうずくまりゐる 
                             〈不退〉
難波橋
難波橋 大阪は八百八橋とうたわれた橋の都。
 淀川が大川と名を変え、河口部の中州を中之島と名をつけ、さらに島の南北を流れる川はそれぞれ堂島川、土佐堀川と名づけられ、藩政期には川筋に諸藩の蔵屋敷が建ち並ぶ日本経済の中心地だった。
 港湾に接した河口の中州は、物流や情報発信に便利。明治維新後においても公共施設や商業ビルが立ち並ぶ、大阪の政治経済の一大中心地であり続け、その南北に天満橋、天神橋、難波橋、水晶橋、鉾流橋、渡辺橋、淀屋橋等々・・・いくつもの橋がかかり、川面にビルの影を写して美しい。
 中之島の少し上流に八軒浜(大川左岸。南岸)がある。京−大坂を上り下りする30石船で賑わったところ。船着き場は京阪電鉄の天満駅に接して設けられ、今日の水の都・大阪の水上観光の拠点。渡辺の津とも呼ばれ、上古から栄えたところ。八軒浜の桟橋に立ち大川を眺めると、上手に天満橋が見える。ときたま’はしけ’が心地よいエンジン音を弾ませて橋を潜っていく。はしけは今も商都大阪エンジンであり続けている。
 八軒浜の下流、中之島の先端部に架かる橋が天神橋。三径間のアーチ橋。天神祭の見物で賑わう橋。祭の日は立錐の余地もなくなる特等席。昔、豊国神社は中之島の中央公会堂が建っているところにあった。火災で大坂城内に遷座したが、天神祭との所縁も深かった。豊太閤から授かった催太鼓に投げ頭巾の願人を描い陶板が、橋から中之島公園に降りる螺旋階段に掲げられている。このほかドンドコ船、提灯船、お迎え人形船、網代車、凰輦などを描いた陶板が生き生きと祭が描かれいる。よい出来栄えで、一見の価値がある。 
 天神橋のラセン階段を降り、川の流れに沿って中之島の芝生公園、バラ園を行くと難波橋(なにわばし)。幾度か架け替えが行われ、現在の橋は大正4(1915)年に堺筋に架けられたアーチ橋を昭和50(1975)年に原型を崩さずに合成桁に改築したもの(写真冒頭)。中央のポストに澪つくしの市章を掲げ、欄干に青銅のランプ橋詰の4か所にライオンの石像が据えられ「ライオン橋」とも称され市民に親しまれてきた橋。フランスのアレキサンダー3世橋やイエナ橋などを参考に造られたものか。橋は中之島から橋に上がる石段や彫刻など特異な着想もあり美しい。大阪の橋の白眉だろう。
 このほか中之島には水晶橋など近隣の建築物と調和して橋もある。永く残されることを願いたい橋だ。−平成24年12月−