長浜大橋−大洲市長浜町−
長浜大橋
長浜大橋(開閉橋)
 長浜は延長90キロメートルの愛媛県下第一の大河・肱川のデルタに発達した町。豊かな水量をたたえた河川は、上流から木材や竹が筏で運ばれた瀬戸内最大の河川運搬路であった。県下のアユの大半はこの川で獲れたものだった。山から海に向かって流れる霧は「肱川あらし」と称せられ、川霧に包まれた長浜の町はなんとも幻想的だった。上流にダムができるなど、肱川の水環境は激変したが、鵜飼は大洲市内で盛んに行なわれているし、肱川あらしはいまでも健在だ。上流から吹き降ろされた川霧が漂い、押し流され、河口から吐き出されてゆくさまはなんとも幻想的である。
 河口の鉄橋(写真上は、延長226メートル。西日本唯一のバスキュル式鉄橋開閉橋で昭和10年に建築された。国道が海岸線を通るようになり、橋の負担は軽減され、旧市街は閑静な町となった。−平成16年6月−
船越運河−宇和島市津島町等(由良半島)
船越運河 宇和島市の南部に、由良半島がある。宇和海に突きでた半島は、細長く、屈折して西方に伸びている。この半島の中ほどに、船越という戸数10戸にも満たない集落がある。この辺りは、由良半島でもっとも陸地の幅が狭く、陸を横断し山向こうの海に出る都合のよいところ。対馬の船越集落がそうであるように、由良半島の船越も船を陸に上げ、曳いて横断した名残の地名。
 しかし、30数年前、運河が開削され船を曳く苦労もなくなった。半島を迂回すれば手漕ぎの船で2時間ほど余計に時間がかかったという。僅か100メートル余りの運河は半島の南北を繋ぐ夢の通路だった。夏の日、漁船が一艘、また一艘、白い航跡を残して運河を通過して行く。−平成17年7月−