筑後川の河口部の西側に、川副という町がある。河口部は有明海の干拓地。田園は筑後平野の穀倉地帯を成し、二毛作地帯。漁業も盛んなところである。
10月、稲刈りの始まった田んぼで、ダイサギやアオサギがコンバインの後ろを追い、タニシやドジョウをついばむ。秋は鳥たちにも豊饒を約束する季節である。
筑後川が河口部で分岐して、その支流・早津江川との間隙に州が発達している。川副町の河口部は半農半漁ののびやかな田園が展開するところ。この州の町に、川口家住宅がある。川口家は漏斗造りのよし葺き屋根の木造平屋住宅(写真左上。参照)である。上空から家屋を見下ろすと四角形の漏斗のかたちをしているところからにこのように呼ばれるのであるが、土地の人はじょうごだに(漏斗谷)造りと呼んでいる。建物は、地上からは、どこから見ても寄棟に見える。漏斗谷造りは雨水の処理や棟の仕舞いが複雑になり、建築の意図がよくわからない。どうも藩政期の家作令の制約を免れて床面積を広くするための工夫であったらしいのであるが、海浜の強風を防ぎ家屋の倒壊を防ぐための工夫とも考えられよくわからない。米で潤ったこの地方の人々のささやかな楽しみが、このような家造りの工夫となったのだろう。
家の中央に集まる雨水は、樋管によって土間の上を通り外へ排出される仕組みになっている。
近年、漏斗谷造りの家はほとんど見かけなくなった。県下ではもうこの州の一角を除いて消滅したのではないだろうか。町内の漏斗谷造りの家屋は、3、4棟くらいかと思われる。−平成17年10月− |