300年の記憶(旧恵利家住宅)−さぬき市大内町−
  青空に茅葺屋根がよく映える。「ツクダレはよいもんじゃ。落ちつくのう。」と老夫婦がため息混じりに住宅を眺めている。「はようお家に入ろっ」と稚児が二人、老夫婦の手を引く。みろく自然公園に移築された旧恵利家住宅まわりで、おだやかな秋の日が過ぎてゆく。
  旧恵利家住宅は、築年が17世紀末頃と推定される県下最古の民家である。恵利家住宅はもともと大川ダムの東方、津田川支流域に所在する新名集落に建っていたが、保存のためダム近くに移築されていたものを13年前、みろく自然公園に再度移築された。
  四方寄せ棟の茅葺住宅を讃岐では「ツクダレ」又は「ツクダリ」と云うが、正面から見て棟中央にちょこんと乗る煙出しが大変柔らかなイメージを醸しだしている。民芸的な美しさがある。棟の押さえに「ガップリ」(瓦)が渡してある。住宅の左側に設けられた「座敷」前に、造り付けの「縁側」が付くのも江戸期の農家住宅では珍しい。座敷奥の増築された「納戸」は単純な家周りに変化を与えている。
  屋内に入り、「土間」に立ち天井を見上げると、木の曲がりや太さの大小をそのまま生かした梁の美しさ感動してしまう。自然木の持つ暖かさゆえであろう。
 無駄のない心地よい住宅は、家人の慈しみを得て300年の風雪に耐え、今日まで奇跡的に保存されたのである。

 讃岐のツクダレ住宅は、一般的には軒に庇(オダレ)をまわしているものが多い。阿波の美馬郡あたりのツクダレ住宅は、オダレが非常に発達している。降雪の多少などが考慮されているのだろう。
 茅で30年、小麦藁で7〜8年といわれた屋根の葺き替えは、農家の一大事業だった。集落に屋根葺き講など講組が存在し、葺き替えの労働力を補完しあった。しかし、生活様式の変化や昭和40年代の高度成長期にツクダレ住宅は、全国的に姿を消してしまった。幸い、阿讃山脈や四国山地の人々はそれを捨て去ることはなかった。藁屋根にトタンを被せ、その骨格を残しトタンを張り替えながら今日においても住居として使用されているのである。四季を通じて凌ぎやすく、傾斜のある大屋根の外観が大自然によく調和する。私たちは、四国山地や阿讃山脈の集落を歩くことによって、日本の民俗を大自然の中にごく普通に見出すことができる。−平成16年9−