京都
丹波路の風景−綾部市、福知山市−
 由良川の中流域に福知山盆地がある。その東端は綾部市に至り、流域随一のまとまった耕地がある。稲作の一毛作地帯である。
 綾部の古名は漢部である。古来、養蚕が行われ稲作を補ってきたが、郡是製糸、神栄製糸を生み、諸外国にまで喧伝された一大養蚕王国をなし、盛期には全国から集まった女工たちで町は活況を呈した。しかし、昭和20年代後半ころナイロンの発明によって製糸産業は大打撃を受けた。今日、段丘に桑畑をみることも、工場からもれる蒸しあがった蚕のさなぎの匂いを嗅ぐこともなくなった。
 丹波の草葺屋根は急勾配の入母屋造り。棟に千木或いは鰹木を上げるところが多かった。棟に煙出しを設けた農家の中二階に蚕室があった。農家は天井のお蚕さんとともに月齢を重ね、繭をとり、製糸会社に納入したりその他の商人に売っていた。やがて、養蚕の凋落に歯止めがかからなると、蚕室は物置となり煙出しはふさがれた。由良川の段丘上或いはその支流の段丘などにそうした家屋や納屋が今も維持されている。草葺からトタン葺きに変わりはしたが、丹波の農家住宅は景観によく調和して美しいものだ。ときに草葺屋根に接すると、本当に心安らぐものがある。−平成19年−