法輪寺は、法隆寺の夢殿門前から北東方向に1キロメートルほどのところにある。三井という集落にあり、太子伝補闕記や貝原益軒の和州巡覧記に三井寺と記されている。三井集落は、水路にも清水が流れる美しいところだ。その集落から戦前、セン積の深さ4メートル余の大きな古井(写真右下)が発見され、三井寺や三井という集落の名称の起こりであろうといわれている。
法輪寺は三井集落の入口あたりに所在し、三重塔が起立する。その東方、4、500メートルのところに法起寺の三重塔が起立する。
法輪寺、法起寺の三重塔と法隆寺の五重塔が斑鳩のささやかな空間に存在することは奇跡といえるだろう。今日、中国に木造の多層塔が残っておらず、斑鳩の3塔婆は世界最古。元禄時代、法輪寺の塔を実見した貝原益軒は、頂上部が崩れて二重になった塔のことを和州巡覧記に書き残している。被災の都度、塔婆を適宜に補修し飛鳥時代の遺址を今日まで伝え得たのも人々の上宮太子追慕の一念によるのだろう。
斑鳩の3塔婆中、法起寺塔婆の草創の記録がある。鎌倉時代に法隆寺の学僧顕眞によって編まれた太子傳私記がそれである。塔婆の露盤銘がしるされ、天武天皇13(684)年から22年の歳月をかけ完成したものであることが知られている。法隆寺、法輪寺の塔については創建当初の露盤銘等が伝わっていないが、建物の細部や伽藍配置等の法起寺との比較検討から法隆寺の五重塔の造立が最も古く、次いで法輪寺、法起寺の順に造立されたもののようである。
冬の日、雪中に建つ法輪寺塔の風景もまたよいものである。−平成20年2月− |