高山町の肝属川支流のほとりに、九州南部地方の伝統的な住宅が残っている。屋敷の入口付近から住居を眺めると二軒屋のように見えるが、実は前後に少しずらして造られた二棟式の一軒家である。向って右側の棟(上の写真右の棟)が床の間などを備えた「オモテ(オモヤ)」、左側の棟が土間、炉などを備えた「ナカエ」とよばれる構造の江戸時代の大隈地方の住宅である。床下や天井部が高く何となく南方の雰囲気が漂う住宅には、この地方の夏を凌ぐ知恵が生かされているのだろう。ぼんやり眺めていると、屋敷裏の竹林に家人の気配すらする風景の中に二階堂家はある。
二階堂家住宅に似た造りの住宅が知覧町郡に残っているが、こちらの方はオモヤとナカエを小棟で連結させている。やがてオモヤとナカエが1棟に収まるように住宅構造が発展していったといわれる。土間を設け炊事をする作業棟のナカエとトコや棚があるオモヤが結合して1棟に収まってゆくというわけである。住宅はもともとその機能に応じ、分棟状態で建てられていたものが、1棟に収まってゆく過程で鈎造り、クド造りなど特有の棟形式も派生したように思われる。それはまた奄美や南九州特有のものではなく、北部九州や西日本においてもほぼ同じ道をたどったようにも思われる。よい木材を産し、ヨシやカヤを産するわが国は、その家屋構造のあり方にも特有の発展過程がある。 |