京都
万葉集,その再編と県犬養三千代の歌の疑問
 万葉集に「太政大臣藤原家之縣犬養命婦奉天皇歌1首」と題し県犬養三千代の歌が載る。‘天雲を ほろにふみあたし 鳴神も きょうにまさりて かしこけめやも’と。歌意は、「天子様の御前に召されこれ以上に恐れ多いことがございましょうか、ご威光の恐れ多さは比べる何物もございません。」(巻第19。4235)とよめる。上句の雷の形容に三千代の天皇を見る目がうかがわれる。‘大君は天雲の雷の上に庵りする’のではなく、天雲をほろにふみあたす鳴神よりも今日の天子様は物凄いと三千代は歌う。
 その天子様は果たして誰だったのか。興味は尽きないが定説がない。三千代が天子様に召されてその威光を身にしみて感じる場面はやっぱり朝儀でなかったか。内命婦の朝儀出席の資格は従五位以上であるが、三千代の女官たる命婦歴はながく元明、元正、聖武のいずれの天皇かなお不明である。三千代は朝儀に常日ごろ召され、おしなべて天皇の威光を目にしていたわけで、日々感じていた気持ちを詠んだ歌と解すれば天皇を特定する必要はない。
 歌の後書きに「右一首、伝誦掾久米朝臣広縄也」とあり、この歌は越中介内蔵忌寸縄麻呂の館で宴楽したおり広縄が伝誦していた歌を採用したものらしい。
 万葉集中、三千代の歌はこの一首のみであり、広縄の伝誦歌と断っているところを察するとこの歌は三千代の作歌ではなかったのかもしれない。家持の死後、藤原氏によって万葉集が再編される際、挿入されたものとも考えられるがどうであろうか。−平成21.11.25−

恭仁京
藤原一族の陰謀(県犬養三千代と八束の場合)

和束の松籟(貴公子たちの夢と挫折と)
安積親王残影−京都府相楽郡和束町−
家持の反乱
万葉集,その再編と県犬養三千代の歌の疑問