犬養橘三千代とお福
二人はいづれも乳母として天皇や将軍を育てた女性。彼女らが生きた時代に八百数十年の隔たりがあるにせよ生前の最終官位は三千代が三位、お福が二位。三千代は薨去して一位を追位されている。女性史上、最高位の位階を得また、二人はともに仏門に入り生涯を終えている。
三千代は天智天皇の娘で草壁皇子の妻となった阿閇皇女に出仕し、軽皇子(後の文武天皇)の乳母となり、女官として仕えた。
文武天皇が若くして崩御すると、文武天皇の皇子首親王(後の聖武天皇)が成長するまでの間、阿閇皇女が即位(元明天皇)し次に、文武天皇の実姉が即位(元正天皇)し首親王の成長を待った。
八百数十年の時を経て即位した明正天皇(後水尾天皇の中宮和子所生の女一の宮興子)は、上記奈良時代の二人の女帝から一字づつ採り明正天皇としたもの。
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徳川将軍家の血脈の維持安泰を願う家康の御三家(江戸、尾張、紀州)の着想もまた不比等の藤原四家の創設と非常によく似たものがある。性格のよく似た二人の権臣と将軍、三千代とお福の二人によってこの国の長期政権は成し得たといえそうである。 |