兵庫
黒井城散策
2本能寺の変と関が原合戦(父利三の死とお福の彷徨)
本能寺の変と山崎の戦(利三の死とお福の彷徨
 天正10(1582)年6月、お福の父利三は光秀に従って中国路に向かった。老の坂で光秀は馬首を翻して本能寺を攻め、信長を討った。知らせを聞いた秀吉は僅か13日で京に戻った。世に言う秀吉の大返しである。
 山崎で両軍が戦ったが、秀吉の軍勢は光秀軍の倍以上の3万余。勝敗の帰着は明らか。光秀は敗走中、野武士の竹槍で突かれ自刃。捕らえられた利三は六条河原で処刑された。
 父を失ったお福は美濃の親元(稲葉氏)に引き取られ、母方の親戚・公家三条西公国(きんこく)(堂上家で上級公家)に養育された。成人すると叔父稲葉重通の娘婿稲葉正成(筑前名島城主小早川秀秋付家老)の後妻に入った。
関が原合戦と秀秋の寝返り
 慶長3(1598)年8月お福20歳ころ秀吉が死去し、5大老5奉行によって後継の豊臣秀頼を支援した。しだいに大老家康が頭角を現し会津遠征中に、奉行石田三成が挙兵し関が原合戦の導火線となった。
 時に慶長5(1600)年10月、東西の武将が関ケ原に集結。天下分け目の合戦の様相を示した。
 お福の夫正成は主君小早川秀秋(改名によって秀俊、秀詮とも。以下、「秀秋」と総称する。)に従って関ケ原合戦に従軍。西軍とみられていた秀秋の寝返りから東軍が勝利し、政治は徳川家康によって塗り替えられていく。
関が原合戦調略の実相
 秀秋の寝返りはどのような経過を経て実行されたのか。
 秀秋は合戦の前日まで鷹狩りをして遊んでいたという。秀秋のとっさの判断で寝返ったとする説や黒田長政と浅野幸長が秀秋宛に、東軍の味方になるように勧めた連書状が存在し、計画的な寝返りとする説など諸説ある。勝ちそうな方に付く秀秋の日和見的な曖昧さを指摘する説もある。
 関ケ原合戦は、東西両軍の兵合わせて約20万人、両軍ほぼ同数の兵が東西・南北それぞれ4`2`の野原を戦場とした合戦だった。秀秋隊の軍勢は1万5,000人と突出して多い。西軍の主将石田三成らは合戦前から秀秋の動きに警戒を怠らなかった。政権の移動必死の合戦で暢気に構える武将などいるはずもない。寝返り工作では情報の鮮度、作戦の良否、秘匿の固守が重要なカギとなる。ペーパレスの作戦が基本。長政が連書状で云々の工作などは論外と思うがどうだか。
 秀秋の寝返りは、東軍の策士黒田長政が調略を仕立て、秀秋の家老正成と平岡頼勝の両家老が秀秋を説得し寝返ったという説に説得力を感じる。
 長政は黒田官兵衛の嫡男、父同様に謀略に長けた人物。石田三成とそりが合わず家康の養女と婚姻を結び東軍についた人物。秀秋の家老頼勝の正室と縁戚関係にあった。東軍の家康は長政の調略を了とし、秀秋方は頼勝から正成の順に調略をサウンドし、両家老2名と秋秀3人で細部を練上げたものか。
 合戦前日、秀秋は狩りをして遊び、やおら関ケ原に姿をみせたかと思えば西軍の伊藤盛正から松尾山城を略奪した。秀秋は乗っ取った松尾山城で陣容を固め、指揮棒を振り下ろし、一気に松尾山を駆け下り、指揮棒の先は西軍の大谷隊だった。怒涛の圧しに大谷隊四千余は逃散し、西軍の小隊が寝返り、連鎖を誘発した。合戦はその日の夕刻までに決着。東軍が関ケ原を制した。
 合戦初戦まで、三成など西軍の将に寝返り情報が漏れることはなかった。秀秋隊の丹波衆(丹波亀山城主以来の家臣)すら寝返りを理解できず、戦線を離脱する者もいた。秀秋の松尾山城の奪取は東軍の勝利を決定付けた。秀秋と両家老の戦略で長政の発案ではなさそうである。
 敗走する西軍の石田三成、小西行長、安国寺恵瓊は捕らえられ、京都市中引き回しの上、 六条河原の露と消えた。
秀秋の寝返りの再評価
 秀秋は秀吉の甥。後継候補者の一人として高台院(秀吉正室。)に育てられた。しかし側室淀殿に秀頼が誕生すると後継第一候補の秀次(高台院の甥)が謀反の疑いで切腹。石田三成の策略ともいわれる。秀秋の脳裏にやがて自分もかと、不安がすり込まれてたことだろう。長政はそんな秀秋の心理を読んで寝返りに誘導したものか。
 関が原合戦の死者は4〜5千余人と合戦の規模に比べても多くはなさそうである。諸国で同時多発した東西戦は東軍の勝利を機に止んだ。秀秋の寝返りは不幸中の幸いと言えなくもない。視点の違いが関ケ原の評価をわける。秀秋の寝返りの再評価が必要と思われる。
関が原合戦の論功行賞と正成の出奔
 関ケ原の論功行賞によって秀秋は筑前名島36万石から岡山55万石に加増され、秀秋の寝返りを仕組んだ黒田長政は豊前・中津18万石から筑前名島52万3,000余石の大封を得た。秀秋配下の二人の家老中、お福の夫正成(家禄5万石)は新任家臣の人事などを巡り秀秋と折り合わず、美濃に蟄居、浪人に墜ちた。
1 黒井城の記憶とお福の生きた時代
2 本能寺の変から関が原合戦
3 江戸幕府開設と豊臣家の滅亡(大坂の陣),乳母お福の選任と意地
4 朝廷・幕府の抗争と禁裏の諸事件
5 紫衣事件とお福謁見の真相と女帝の即位の狭間