乳もらい
先の大戦前後特に、農村部では粉ミルクが普及しておらず母乳の足りない乳児は「乳もらい」と言うて乳母のもとに通う風があった。長じて子が独立しても盆暮れのあいさつを欠かさず、外に出た者も帰省の折には乳母のもとに一番に駆けつけ、終生‘お母さん’と呼び乳母を慕う人がいた。また乳母も分け隔てなく我が子同様に育てた。
お福はわが身が病床にあっても服薬を絶って虚弱の竹千代が丈夫に育つよう祈願し続けた。
長じて家光は病床にあったお福を訪ね、衰弱したお福を抱き起こして薬を飲ませたという。お福は感涙に咽びながらわが身を袖に隠し薬を吐き出したという逸話がある。死の淵にあってもなお家光とともにあるお福と家光は終生、固い絆で結ばれていのだろう |