磐国いわくに山(万葉集)−岩国市欽明路−
 周防すはなる 磐国山を 越えむ日は 手向よくせよ 荒しその道 
                      <万葉集 巻4 567>
 天平2(730)年、大宰帥大伴旅人は病んでいた。脚に瘡(腫物)ができ重態に陥った。庶弟の稲公と甥の胡麿に遺言したい旨、朝廷に言上するのであった。両名は早馬を賜って筑紫に下り旅人を見舞ったが、旅人は数十日のうちに快癒する。
 歌は、稲公らの帰京に当たって、百代、家持らが設けた酒宴で大宰府の小典山口若麿が詠じたものである。
 若麿は、磐国山を越えるときは神に十分手向けなさいませ、荒々しい道ですから、とおもんばかっている。山陽道は、都から筑紫に通じる官の大路。しかし、周防の磐国山越えの道は、天下に聞こえた険しく、恐ろしい道であったのだろう。
 近年、歌に詠われた山陽道は舗装され、明るい山道の印象。峠は樹木が鬱蒼と茂り、人気のない不気味さが漂う。古代の山陽道を思うのにはよい。
 山陽道の直下にJR岩徳線が通り、トンネルが抜いてある。山陽道は、地元では参勤交代の道として知られている。
 山陽道が通る欽明路は、周防源氏武田氏が住まいしたところ。武田氏は、天文9(1540)年、毛利元就の援助により安芸から当地に移り住んだ周防源氏の祖。文武両道の稽古屋敷跡がある。−平成18年6月− 

遣新羅使詠歌(万葉集)
暗峠越えの道 家島 多麻の浦 鞆の浦
長井の浦 風早の浦 倉橋島 麻里布の浦
大島の鳴門 熊毛の浦 祝島 鴻臚館跡
荒津の崎 唐泊 引津の泊 神集島
壱岐・原の辻遺跡 対馬の運河 対馬・竹敷の浦 参考:(磐国山)