伊予鉄道
 伊予鉄道は、明治21年に松山−三津間に軌道を敷設し開業した私鉄の草創期の花だった。官制の鉄道は、すでに新橋−横浜間、京都−神戸間に敷設されていたが、民間による鉄道事業は南海電車とともに私鉄のさきがけだった。
 松山市街を走った当時の鉄道は、軌道が狭いいわゆる「軽便鉄道(けいべんてつどう)」である。車輛が小さく乗車定員もせいぜい10人ほど。夏目漱石の「坊ちゃん」にも登場する日本初の軽便鉄道だった。夏目漱石が松山中学に赴任したのは明治28年。伊予鉄道の開業から数年後。漱石は乗車の様子を次のように書いている。「・・・乗り込んでみるとマッチ箱のような汽車だ。ごろごろと5分許り動いたと思ったら、もう降りなければならない。道理で安いと思った。たったの三銭である。・・・」
 近年、「坊ちゃん列車」(写真右)が復元され、市街を運行中である。
  伊予鉄道の市内線(路面電車)で、京都市交通局から移入された「ちんちん電車(モハ2000形)」が走っている。京都でしばしば乗車した懐かしい車両であるが、改装されしゃんとした姿は往時よりはるかに上品に生まれ変わっている。そのほか、戦後間もないころにく導入されたレトロの車輛(モハ50形。写真左、53号)に加え、バリファリー車輛(モハ2100形)なども導入されている。松山市民のよき足である。
  日本経済が高度成長期を迎へ小回りのきく自動車が重用されるようになると、都市の交通体系が見直され、路面電車の働き場所は次第に狭められ、路線は廃止、縮小され続けてきた。自動車交通のネックとされたのである。しかし、路面電車は、大気汚染などの公害とは無縁の大量輸送手段として、またコミュニティーを育む手段としても効果的である。路面電車は大変難しい課題をかかえながら、今日も各地で走りつづけている。
   参考 :長崎市電 熊本市電 琴平電鉄 土佐電鉄  広島電鉄 岡山電気軌道  伊予鉄道